
私の好きな写真家アントン・コービンの撮影した、ジョイ・ディビジョンの大好きなモノクロのポートレイト。
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世間が120歳の老人だの、130・・・140・・・果ては186歳だの、空虚な実態無き「数」だけの生が、ネット上のデジタル信号として行き交う・・・
コンビニに入れば、脳の中身が無い事が明らかに「カラカラ」と聞こえる、我々世代へのテクノを馬鹿に[風刺]したパフュームの挑発的な虚無な音が流れている・・・・
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まだ、ジョイ・ディビジョンの実態に触れていない高校の頃、クロスオーバーイレブンで深夜、初めて聴いた『ディケイズ』。
滅び行く事を、絶望を、死を、前提としていると、はっきりとわかる、その重いしらべは、イアン・カーティスのくぐもった独特の歌い方と共に、自分の記憶の底にはある。
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あまりに嫌な事を、たとえ仕事であろうともしたくない自分だが、あまりにも「みにくい」・「がさつでガツガツして」・「感情のみで生きている」・『おつぼね様』筆頭の女営業ウーマンだけを集めた「寄り合い」のような『研修』資料を作る「無駄さ」加減にアホらしくなり、午後沈黙に至った。
さらに、馬鹿げた事には、日頃のうっぷんを晴らす為なのか?
女にそんなに気をつかうべきなのか?
それともおもねりたいのか?
疑問???????????????
で仕方が無い「呑み会」までセットされ(自分は当然出ろと言われても出ないが)馬鹿らしいので、仕事黙って勝手に上がって、21:50帰宅した。
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帰り道、先日ぶらり寄った本屋で買った「戦争論争戦」(小林よしのり・田原総一郎対談)が面白く、時を忘れて読んでいたら、あっという間に家に着いた。
沈黙したい今夜は、「ディケイズ」より更にスピードを落とした「ジ・イターナル」を聴きながら、闇の中に消えていきたい。
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PS:クソオンナには、男のジョイ・ディビジョンの世界など想像も及ばない世界だろうな。
「暗いわね」という浅い・希薄な・軽い一言の発言しか、浅い人生の持ち主には、持てないだろうし。
「家計のために仕事にしがみついていると、周囲に悪性のガスが充満して、被害者が増える一方なので、早く仕事場を立ち去って頂きたいんですが?」
そう言いたい。
暗記して何の役に立つのか
疑問をもった頃に白々と夜が明けてきて、ああこんな時は…
と聴いたのがジョイ・ディヴィジョンでした。
(体育で創作ダンスという恐ろしい授業がありましたが、
ジョイ・ディヴィジョンを使って引かれました
子供のころから時折この「疑問」が襲ってきます。
たいてい、「何でこんなことしなくちゃいけないんだろう」という違和感と、
生きている不安を感じる時。
今の世の中ではそれは発達障害と呼ばれるかもしれませんね(*_*)
私も吞み会苦手ですね…
食べるとか飲むというプリミティブな場面だからこそ、
苛立つ人との同席は避けたいものです。
今夜はアンノウン・プレジャーズを聴くことにします。
僕も、幼い頃ほど鮮烈では無いですが、44歳になっても、この「未来への漠然とした不安」をいまだに抱えながら、毎夜を向かえています。
まあ、嫌悪の固まりである親父の元を離れて、自分のかせいだオカネで自分のメシを食い・自分の家を設けられた今は、さほどの不安は無くなってきていますが、「明日への不安」は自分の持つウツと1人で伴侶も無い不安定さを伴って、毎日襲ってきています。
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深夜勉強にジョイ・ディビジョン、本当に夜明けに「この虚しさはなんなんだろう」、僕もそういう経験はすごくわかります。
中学までは、ある程度、自分の力で超えてきたけれど、高校に入って以降、中島らもさんと同様、脱落者の一途を辿り、というか高校の学習内容が全く理解できず、まさに暗記とは何の意味があるんだと思いながら、苦しんだ想いしかなかったです・・・・
結果、脱落者という烙印を押されながら、2年も素浪人として世間をさまよい。。。
自殺未遂に至った20歳の昼を1986年に向かえました。
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創作ダンスにジョイ・ディビジョン。。。
いいですね。
しかし、イアン・カーティスの死の本当の要因は何だったのか?
本人にしかわからないのでしょうが、彼の持つ持病「てんかん」を抱えながらステージに立つ不安というのは計り知れないプレッシャーがあったのかもしれません。
彼のヴィデオには、孤独で必死な様子のものが多いです。
僕も今から「スティル」という死後にいろんな雑多なテイクを集めたアルバムを聴いて見ます。
さくりんさんの文面には、いつも自分に響くものを感じます。
更に落ちれば自分にまだ余裕があるんだなと思ったりして…
「二十歳のエチュード」に出会って
20歳まで生きちゃいけないんだと冬の海に向かったのは19歳、
次の節目はJ・ヘンドリックス&モリソン&ジョップリンの27歳、
「四十歳になったら死のうと思っている」とミロ(桐野夏生)が言っていたけれど、
もう3年も過ぎてしまいました。
どんなに楽しくても表向き前向きに仕事していても、
もう一人の自分はどうしても受け付けない。
離人の感覚もそんな時に起こります。
でもそれがあるからあり得ない状況下でも
「ストレス管理ができてるねえ」なんて言われながらやり過ごせてるのかもしれません。
イアン・カーティスは全米ツアーの直前でしたね。
もうだめか、今度こそと思っても、やっぱり私にはまだ余裕があるんでしょうね。
このターニングポイントまで、残り11ヶ月となり、自分でもそんな早かったか・・・と思っています。
三島は生涯、モノを創り続け、走り抜けるように、まさに天才として密度の濃い45年の生涯に自らで終止符を打ちました。
次は、幸宏・教授、そして細野さんの今の歳が節目でしょうか。
いつどうなるかはわかりません。
1つでも多くの智慧を得るべく、写真を撮り続け、音楽を聴き、美しいデザイン、アートに出会い、自分の肥やしにしながら、生きていきたいです。
あと、1人でも多くのネコたちとの出会いも重要な大事な自分の中の1つですね。