こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年1月13日 日曜日 David Sylvian 「Words With The Shaman」'85

2013-01-13 20:55:25 | 音楽帳
既に、「じぶん」の精神状態も東京世界も音楽も、混迷・デッドゾーンに入りだした1985年。
じぶんは素浪人の闇世界を漂う中、当時19歳。
ジャパンを解散させ、命を掛けて創ったソロ「ブリリアント・トゥリーズ」を経て、1985年にシングル「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」を発表したデヴィッド・シルヴィアン。内なるエネルギーが満ち満ちた作品。

パート1~3という3部構成となっているが、1・2が繋がっている一方で、パート3は独立している。
「ブリリアント・トゥリーズ」同様、弟であるスティーヴ・ジャンスン、師としてのホルガー・シューカイ、ジョン・ハッセルが、デヴィッドと一体になりながら、恐ろしく美しい闇を創り出している。

じぶんが初めて、これを聴いたのは、土曜深夜3時からの「FMトランスミッション/バリケード」だった。
この時のカセットテープも未だに「ボクのカケラ」として保存されている。
この回は、「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」パート1~2に始まり、坂本龍一先生の「エスペラント」から「ア・ウォンガ・ダンス・ソング」、コクトーツインズの「あばらと血管」へと繋がっていく。
恐ろしく美しい選曲と流れ。

このジャケット撮影で、デヴィッド・シルヴィアンの写真は、向かって右側からのライトを浴びており、左目と右目がかたちんば状態にある。
じぶんは、ここにデヴィッド・ボウイの鋤田さんが撮影したアルバム「ヒーローズ」のジャケットを思い出した。ボウイは、昔のケンカで片目を見えなくなったので、左右の瞳孔の開き方が異なる。(片目は見えないので、光に瞳孔は変化しない。)
「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」における、このデヴィッド・シルヴィアンのポートレイトが隠喩としてボウイを意識したものか?否か?は、じぶんにも不明だが。しかし1985年時点で、シルヴィアンはボウイを超えてしまっていたのは事実。
■デヴィッド・シルヴィアン 「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン ~パート1・2・3~」1985■


呪術師が言うコトバと言ったあたりに、デヴィッドが深い深い精神世界を突き進む様が見て取れる。しかも、それをこれだけの素晴らしい作品に投影出来る、長けた能力は、当時圧巻だった。そして、今も。

***

明日は「性人の日」とやららしい。なぜ20歳が記念の日なのか?今の自分には理解できない。
まだ地域社会の密接度が生きている場所であれば、もしくはそういった環境下であれば理解できる。それなら、その共同体独自で行えば良い。
何もカレンダーにまで記して、全国統一でやるものではない。
これだけメディアの発達し・情報が瞬時に伝わるように網羅された世界で「いまさら、何をねぼけたことを言っているだろうか?」。

***

じぶんは、素浪人の狂気の最中、20歳を迎えた。しかし、誰一人祝う者などいない。1986年、もはや行き場所を無くして夜になるまでは家に帰れない。幻覚が現れたり消えたりする中、ひたすら街を放浪していた。
追い詰められた結果の末、20で自死しそこねた。
1985・1986・1987年は、振り返ることが出来るようになるまで、相当な時間を要した。

80年以降、解体・崩壊・カオスを突き進んだ世界に「20歳にして成人」もへったくれもない。もし共同体が生きている場所があるなら、それを大事にした方が良いが、都市にそんなものは存在しない。
本来、通過儀礼としてあった「成人」なるイニシエーションなど形骸化した2013年、何一つ意味をなさない。性器の一部を切り取る・貫通させる等の刻印を残すのであれば、意義はあろうが、セックスも酒もタバコも済ませた20を集めることに意味などない。

***

公的な社会にあらがうのは、感性豊かな10代ならではの行動である。
ゆえに、じぶんらの類に属する・東京生まれで東京育ちの者が「成人の日」の催事に行くのは、当時、もっとも侮蔑・嘲笑されるべき奴であり、一生の汚点・恥だった。
みんなでお手手繋いで行くことのカッコ悪さ。

公的ななにかにあらがうのであれば、この場にわざわざ行って、壇上で騒ぐことのみっともなさも一生残る。そういうニュースを毎年見るたびに「どうせやるなら、もっとデカイことをやれよ」と思う。
人が収めた税金でくだらない催事を行い、わざわざその場のために親から紋付・袴(はかま)を買ってもらい、その場にまで出向いて、やることはその程度のことかと呆れかえる。実に、尾崎豊的で、みみっちいこと限りない。
明日は、ニュース見聞も遮断すべきだな。

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2 コメント

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おげんきですか。 (かたちんば→猫いのちさんへ)
2013-01-14 03:43:02
猫いのちさん、おげんきでしょうか。

「マテリアル・ガール」「マネー・フォー・ナッシング」言われてみて、そうか・・・とよぎるものがあります。

1985年。必死に・すがるように・狭くなっていく世界で・耳と琴線に触れる音を探していた。
そのような行動だったかと思います、じぶんは。
どんどんと足の置き場が無くなっていく感を強めていました。
救いの音だったのは、TFFの「ソングス・フロム・ビッグチェア」、OMD「シークレット」、コクトーツインズ、レッドギターズ、プレファブ・スプラウト等々でした。

***

今日も友人と街歩きと写真撮影でうろうろ。
そこで見える行動やら、一息付くのに入ったコーヒーショップで聞こえてしまう、大学カップル等々の会話。
かなりエゲツナイ会話を女も男もする様。

このような会話と形式的メディア報道で「国民はあ」「「みんなあ」など、じぶんはとてもではないですが結びつきません。

現実は、あのモニター画面の中には何もない。
人工的恣意的に作り出された「大いなる虚構」ですね。
みずからノラネコのように、歩かねばわからない現実。
「一体、どーなっているんですか」と詰め寄る側に、「お前らこそ、一体どないなってんねん」的世界。
超パターン化されながら、危ないと判断した所は回避する。
スポンサーありきですからね。

猫いのちさんがおっしゃるように、ニュースを離れたところで、何かをしたいと思っています。
そういえば、今日も外を歩いていて、3匹のノラネコさんに会いました。
風邪を引いたり・目を怪我していたりと大変。
食べて活力を得て、なんとか冬越えを共にしたい、と祈るばかりです。
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Unknown (猫いのち)
2013-01-14 02:50:03
いつも拝見しています
1985年はプラザ合意のあった年で
経済的な問題も諸分野のクリエーターにも
いろいろな影響があったような感じがします
この頃を象徴する曲は一般的にはマテリアルガールとか
マネーフォーノッシングなのかなと個人的に思ってます

何かが抜けたような(今までの意味が無くなったような・凧の糸が切れたような)
感覚は80年代中頃に確かにありました
90年代以降はそれが徐々に悪化して毎年さらなる底抜け状態と認識してます
確かに良い音源に巡り会う事は希になったかな(ちんばさんの嗅覚にはいつも脱帽)

今の二十歳は不景気が当たり前で、バブルの熱気や
皆で同じ消費行動をしてたことを当然知らないでしょう
(それがどう影響するか予測できませんが)
そして40代でもそんなメインストリームを無視して
生き延びてきたのが結構いるようですね

成人式のお約束ニュースは遮断が妥当
この国に関する重要なニュースはTVメディアでは報道しない
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