こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

12月18日 日曜日 休日 その①

2005-12-18 22:38:50 | 雑記帳
なんだかんだと寝ているうちに、断続的な眠りを繰り返すうちに、起きるのが、13:00になってしまう。

昨夜は20時前に、会社から帰って、すぐこたつで食事。
流れ出したNHKのドラマを見ていた。
日航機墜落事件を題材にしたドラマ。

佐藤浩一は本当に良い役者だなと思う。
個人的には大好きな役者さんだ。

その後、そのままの流れで、21時からの「耐震強度偽装事件」の番組を見て、9:40ごろ自室に戻る。
布団に入り、友人MZ師にTEL。
その後、1週間の疲れから、22時前に、寝たのだった。

***

22時から13時、つまりは、約15時間睡眠ということになる。寝貯めは効かぬというのに。
髪がパンク状態だ。アナーキー・イン・ザ・UKだ。

眠った分だけ、記憶も飛んでしまった、馬鹿になってしまった気がする。
緑茶を入れて飲む、旨い。

外は異様な程のお天気。多少、風が吹いているようだが、おだやかな青空だ。
パソコンに向かうと、日差しがまぶしい。

急に、頭にスイッチが入って、高校3年の頃、絶望の合間のこうした日曜によく聴いていた曲を聴きたくなった。
Ryan Paris の「Dolce Vita」 という曲。
FMトランスミッション/バリケードでかかった曲で、エアチェックしてよく聴いた。
当時は、その曲目も番組の最後に口頭で言ったものを解読していたので「ライアン・パリス」とは聞き取ったがそんな人いるんだなと不思議に思った。不思議な名前だ、どこのどんなバンドなんだろうと知らぬままに、数十年。

「Dolce Vita」とは、「甘い生活」のイミだということを、さっきネットで調べて知る。冬の陽光とよく混じる音楽だ。

そういうことで言うと、'83.12.14に発売されたYMOの「サーヴィス」【写真】の中の曲、
「SHADOWS ON THE GROUND 」もそんな1曲。
そうして、探してかける。

最近、聴きたいと思っても、余りに持っている音源(CD、カセット、レコード)が大量なので、聴きたいときに聴きたいものが出てこないのだ。
こういう人にこそI-Podなのだろうが、持っていない。
手元にある聴ける曲だけかける。

引き続きかけたのは、
・Durutti Column - Lips That Would Kiss
・aztec camera - 想い出のサニービート
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好きな詩、セリフ   寺山修司「冒険」 

2005-12-15 01:01:30 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
「人は人生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。

だが、やがて「歌のわかれ」をして詩を捨てる。

そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のまま年老いてゆくのである。

私もまた、詩を捨て損なったにがい心をいだきながら、群集の中におし流されていきつつある。

だが、もしも船出にまにあっていたら、私は冒険家になりたかったのである。」(寺山修司)
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耐震強度偽装事件に思うこと ~買い手は何も悪くないのか?~

2005-12-15 00:39:45 | 雑記帳
余り、世間の騒ぎをここに載せたくはないのだが、ん~と思ってしまったもんで・・。

TVで、今日、耐震強度偽装事件の証人喚問を見ながら、いろいろな事を、漠然と、もんもんと思っていた。

 私は、この事件自体には、本質的には、全く・何も驚いていない。
約15年に渡っての平成不況の中で、こんな事が裏で進行している事が、露呈したまでの事、と思っている。
いつかはこんなことになろうと思っていた。多分、来年はこういう事が多く露呈し始める年と思っている。

 建設業界の末端で、建築の現場に関わり、働く私かたちんばも同様だが、どんな思いをして、この苦しい15年に渡る絶え間ないコストダウンの波に、血を流しながら、みんな耐えて乗り越えてきたことだろう。それくらいは、せめて2005年に生きる日本人として、感覚として、触覚として持ち合わせているべきだろう。

 TVでギャーギャー一方的に、被害者ヅラしているヒステリックな「主婦」を見て、「あ~ぁ、またか」と思わずつぶやいてしまった。
働く男であれば、空気としてなぜこんな事態になったかという過程と仕組み程度は安易に想像出来ようものだが、仕事もセズ、好きなことやって過ごす、【昔の働き者の昭和の「母」の時代と大きく異なり、楽である】「主婦」ほど厄介で最も救いようも無い者はいない。
<また、それに同調する駄目な頭の悪い、顔を隠した主人も同じだが。>

 この15年で、かつて「安かろう悪かろう」=安きものは悪いもの、という思想から、「安かろう良かろう」=安くて、かつ、良きものが当たり前だ、という思想に変化していったことは、みんながカラダで実感してきたとおりだ。
 そして、そんな中、それも限界点を越え、こうして、ヤバイ事態にまでなってきているのも、働く者たちは実感出来るところだ。
この2005年、不況を脱した人はいいが、多くは相変わらず、赤ランプが点滅している状況下にあると思う。

 絶え間なく続いていく不況という中で、必死に働き、必死にコストダウンに取り組む人たちとは一方にして、「安くて良いのは当たり前、さらに・・」とハイエナのようにツラの皮を厚くしている消費者の甘えがあるのも事実である。
私が日々一般消費者と接触して、近時感じるのは、この私「かたちんば」よりもおかしな精神構造をした「クレーマー」的な病んだ人々が増加しているという「事実」だ。さらにこれは、オンナ・主婦に多い、というのも「事実」である。15年前に比べて大いに増えている。

 働かないから、苦しんだ事が無いから、全く、と言っていいほど、あきれかえるほどに、空気が読めず、世間を知らず。
「壊れてしまっている」病んだオンナ・病んだ主婦が多くなってきた。

 例えば、家の場合、男が働く中、家の中のものを決めるのは、相変わらず、主婦であるが、この主婦がどうしようも無いのだ。(まあ、今も昔も同じというヒトもいるだろうが)

 直接的なコトバでは言えないから、
暗に「あなたは、その程度の安い買い物をしたんですよ。
あなたが要求しているレベルは、その価格レベルでは無理ですよ」
と丸く説明しても、そのニュアンスをわからない人々が増えている。

 余り回りくどく言う時間も無いので、結論を急ぐと、
「安い買い物をした、そう決意した、自分らの選択に対しての自分の責任は、全く無いのか?」という疑問である。
 自分の知る、一流ゼネコンのある人は、TVを見て、同様の事をつぶやいた。
「全てを人のせいには出来ない。そういう買い物をした自分らにも罪があるんじゃないのか?」
そのとおりだ、とかたちんばも思う。

 今、100円SHOPが大ハヤリだが、それが、どんな苦しみの元に、あの店頭に、あの価格で届いているんだろう・・・
現場はどんなことをして、その価格を実現しているのだろうか?
そういった当たり前の想像力くらいは持って、生きるべきなのだ。

 そんな店でも「これじゃなくて、こういう○○のタイプは無いのぉ~」と質問している主婦を見ると、「この人は、気が狂っている。」と思う。

 私が小学生の頃、NHKで「はたらくおじさん」という番組があったが、そんな「はたらくおじさん」の現場を想像出来る程度の皮膚感覚が今、必要だと思う。

100円の野菜で、カラダがどうなってからでは遅いのだ。どうなったところで、選択して食べたのは、お前だ。
誰かの責任を問う前に、死んではおしまいなのだ。

 昨年94歳で亡くなった明治生まれの、三ノ輪のおばあちゃんは「一寸先は闇」「・・・人生行路を、どうやって渡っていくか」というのが、いつも口癖の、硬派のおばあちゃんだった。
 そのおばあちゃんのコトバを思い出す。

 いつまでも、カネを出している限りは、何をしても・言ってもいいんだ、権利は100パーセント買い手の自分にある、という乱暴な思想ばかり持ち合わせていると、こういう目に遭う。
 だから、決して、今回の鉄筋強度偽装事件で、私は、買い手には、100パーセントの同情は出来ない。同情しない。
こういうことになったのは、我々が生きる時代全体が生み出した構造なのであり、みんなもその一員なのだ、と私は思うのである。

「安すぎるものは怖いもの」

その当たり前な思想が早く復活してくれる、当たり前の社会に戻って欲しいと祈る。
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12月14日 水曜日 Walk Out To Winter ~冬に向かって歩き出そう~

2005-12-14 21:03:39 | 音楽帳
 aztec cameraに「walk out to winter」という曲があります。(正直、aztec  cameraは「思い出のサニービート(オブリビアス)」以外は、どうもしっくりこない面もあるのですが。)

 しかし、このタイトル「walk out to winter」というコトバ、それによく見た、彼らの白黒のポートレイトが頭に勝手に結びついて、頭から離れない。

 そのポートレイトは、苦々しい顔をして、風吹く中、その風に向かって歩くような様に、自分には思えてしまう。
良い写真だとつくづく思う。

 実際の「walk out to winter」という曲の調子は明るい。
しかし、詩はイギリスの社会的な状況の暗さを反映している。
 失業で生活保護の列 に並ぶ若者に向けて発せられた、応援歌のような詩らしいが、私は勝手に自分のイメージから、「Winter」とは、季節だけでは無く、状況が寒いという意味と受け取っている。

 どんなに寒い状況でも、どんなに風の吹く中でも、冬に向かって歩き出さなきゃいけないんだ、という意思の曲と自分は思っている。

 身もココロも寒くなってしまった我が身の冬だが、それでも、参ってはいけないとここ数日、気持ちを整理している・・。

 外は寒い冬だけど、僕も冬に向かって歩き出します。
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12月13日 火曜日 「・・・・And I'm A Soldier」

2005-12-14 01:06:06 | 音楽帳
 今夜も寒い。
身を切られるような寒さだ。

 夜遅く、事務所のカギを締める。
つい疲れから、気を失ってしまいそうなふらふらした足取りで駅に向かう。
そして電車に乗る。

 ビタミン剤やら、ドリンク剤やら、そしてもちろん食事や防寒着で、何とか・・・と思っていたけど、どうも、ついに、ウィルスに侵入されたみたいだ。

 まずいことに、ハナは垂れてくるわ、声が出なくなってくるわ、元々鬱で元気無いニンゲンなのに、さらに元気なくなってきた。

風邪かもしれない。

 夕方、お客さんの電話に出たら「どうしたの?いつもと違って元気無いね?」
そう言われて「ハッ」とする。
「素」の我が身の状態の悪さを丸見られしたみたいで、その場はすぐにつくろい笑いした。
 が、元々、営業に向かぬ自分が精一杯の虚勢と仮面でその場、その場をつくろっている事自体に無理と限界があるのだが。そう言いながら、危険な綱渡りを、毎日し続けている。

 ヒト嫌い・人間不信の懐疑的性格のかたちんばの自分が、3年前から再び営業の仕事に戻ったのは、嫌がらせ人事とも言えるが、かたちんばピエロは、必死な顔して毎日、危ない綱の上で過ごしている。

その過酷な旅の友は、音楽とお酒と猫のまみやんやら、少ない仲間たち。

 とめども無く走り続けるこの世界。
その中で空転する、かたちんばのぎくしゃくとした戦い・・・・。

***

しかし、まもなく、その戦いも一時的に休める時が来る。

 ひたすら走り続けるこの世界が、一瞬停止し、真空になる瞬間。
その異世界が出現する唯一の「刻(とき)」が、お正月であり元旦である。

どんな身の人の上にも、お正月は降るのである。

この時だけは、しばし走り続けることから解放され、その真空の刻と空間にたゆたっていられる。
その刻がまた来るのを思うと、少しは幸せな気になれる。
日本人に生まれてよかったと思う瞬間。

***

 最近は、海外で過ごすだの年越しライブだの、ふざけた売国奴が増えたが、こういう奴等には国外退去願いたい。神聖なる日本のお正月を乱す者は、出て行って欲しいのだ。
 もはや右翼だの左翼だのとは一体何を指すのかはわからなくなってしまった2005年の日本だが、その手合いの事を言われるなら、精神において私の中枢に流れるものはその手合いであるかも知れない。
 もはや、望むべきも無く、時、既に遅し。日本の国の形は変わり果て、追憶やノスタルジーさえ許されぬ、超(チョー)大馬鹿◎●世界になってしまったが、自分のココロの奥底にひそむ、本当の想ひは「そう言うこと」である。

***

 こういう事を思いながら、夜、聞きたいと思って、実際聞いているのは、坂本龍一教授のシングル。
●「War Head/Lexinton Queen」
●「Front Line/Happy End」

***

 こないだの日曜、とあることで、心理テストをした。
(病院では無い。)
そんな中で、性格診断で、言われた結果は、「内面の感受性は豊かだが、自分への固執が激しく、もっと内面を外に出すように。」とのこと。

 そうは言われたが、内面を出そうという安易な事を言っちゃいけないよ、と思った。それは殺人だったり、過激な行動だったりするのかもしれないから。

***

 今の自分は、内面と、全く合致しない荒れ狂う外の世界に、引き裂かれそうになりながら、その自我をかろうじて、想像力や幻想の力を借りて、何とかつなぎ止めている事など、誰もわかってはくれまい。音楽や言葉の力を借りて、かろうじてごまかしながら生き延びている事など。

***

 初期の思想的で頭でっかちの「教授」の一途さ・ひたむきさと過激さが、好きだ。「B-2Unit」のそれぞれの曲にも、「War Head」「Front Line(=前線)」というミニタリー用語にも明らかなように、この時期の教授は、世間で一方的に膨らんでいくYMOという「化け物」と、自分とのハザマに引き裂かれながら、苦悩し、戦っていた。

「音楽っていう小さな戦場で
ぼくは兵士になる。
音楽は意識の戦い。
だから僕は兵士。」(フロント・ライン)

***

 ワールドツアー~「BGM」までの頃の坂本さんは、明らかに神経症的な症状が出始めていたという。
 「街に出て、歩いていると、自分を呼ぶ誰かの声が聞こえるんだ」と言っている発言がある。(「電子音楽In Japan」にそのへんの話が詳しく載っている)
 「BGM」に収録された「音楽の計画」にも、その影は大きく反映している。

 しかし、私は、この時期の悩める教授の曲が、いまだに好きでいとおしくてならない。
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12月10日 土曜日~11日 日曜日 痛くてヒリヒリする夜

2005-12-11 02:05:29 | 音楽帳
いい年こいて、またもや、恋に破れてしまった。

いきなり凄い書き出しだが、痛くてヒリヒリする。
さっきから、タバコと酒をやり続け、音楽を聴いている。

ただでさえ寒いのに、それ以上に寒い夜だ。
なんだかんだと、覚醒してしまって、支離滅裂なココロ。
音楽の中に逃げ込む。

●YMO 「Stairs 階段」

●高橋幸宏 「The April Fools」

●吉田美奈子 「頬に夜の灯」

●Pretenders 「Birds Of Paradise」

●Ultravox 「Stranger Within」

●YMO 「希望の路」
この曲の幸宏のヴォーカルには、いつも訴えかけられるものがある。
曲も大好きだが、詩がまた素敵でイタいなあ。
まだ「浮気なぼくら」の曲ですが、YMOの解散を暗に匂わせる詩。
それを思うと、この曲には一層、こみ上げるものがある。


「はるかな路を 越えて

僕は ここへ やってきた

重いカバンを 捨てて

残したものは 何も無いはず


窓の明かり いつもの通り

愛していた 部屋の空気

開けたままの 本のページ

灰皿には タバコの吸殻


僕は 振り返れずに

誰かの呼び止める声にも

この手で ドアを開けて

新しい路を 見ている


きっと君は いつもの通り

テレビを見て 1人笑い

飲みかけの お茶を置いて

ベルの音に また立ち上がる


はやる心を 澄ませば

何かの前ぶれ 感じている

この不思議な気持ちを

今、君に伝えよう


この不思議な気持ちを

今、君に伝えよう」


2時を過ぎてしまった。今夜は寝よう。
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坂本龍一のサウンドストリート 1981年12月1日 YMO「テクノデリック」大特集!!!!

2005-12-10 18:11:39 | 坂本龍一のサウンドストリート
坂本龍一のサウンドストリート '81年12月1日 
「今日は、あの感動の名作、YMO「テクノデリック」を抜粋して紹介したいと思います」と始まる。

イントロ~1・ジョン・ハッセル 「マラヤの夢語り」
「いつまでやってもキリが無い訳ですが・・・。」(エンドレスループ的)
ブライアン・イーノがジョン・ハッセルと作ったレコード。

2・Japan 「Visions Of China」
「出たばっかりのレコードをかけましょう。」
「送ってきたThe Art Of Partiesに続くシングル。もうアルバムはイギリスでは発売されたのかな・・・。
初登場59位ということで、(チャートとしては)まずまずじゃないですか。
最近のDavidは東洋とかアフリカとか入れ込んでいますね。

B面は、不肖わたくしめのTaking Islands In Africaです。
ミックス、トラックダウンをスティーヴ・ナイがやり直してますね。」


10月・11月と放送が少なかったので、と、いくつかハガキを紹介。
ここで、来年2月にレコーディングの矢野顕子では、DevoかJapanを使うことを教授は発言している。

【テクノデリック特集】
YMO3人の録音テープを流す。YMO’81ウィンターライブの合間で録音したもののようだ。

坂本「あの~  発売されましたですね。」
幸宏・細野さん「何が?」
坂本「イモ(YMOのこと)の新作ですね。」
幸宏「あっ!イモ欽トリオ!」
坂本「イモ欽トリオってそこから来てるんですか?」
幸宏「そうなんじゃないですか。」
細野さん「I・M・O ?」
幸宏「今日は、名古屋の公演を終えて・・」
坂本「あ~大変だった。」
幸宏「汗びっしょりですね。坂本さん。」
坂本「いやいや」
細野さん「拭いた?」
坂本「拭いた拭いた」
坂本「着替えた?」
幸宏「着替えました」
幸宏「今日は何の話で?」
坂本「今日はだから・・イモの新作の話をね。」
幸宏「それ、もしかしてテクノデリックのことでしょう?」
坂本「あたり~、お上手~」
幸宏「ヤラセ~(笑)」
坂本「感想など1つ・・・みゃあみゃあみゃあみゃあみゃあ」
幸宏「僕はですね。テクノデリックというアルバムについては、非常に詳しく説明出来るんですね。」
坂本「そのココロは?」
細野さん「まるで自分で作ったみたいに。」
幸宏「そうなんです。いいですか?」
「じゃあ、ひとこと言って・・。」
「まず、あのアルバムはですね。
ボカア(僕は)好きです・・・・。」
細野さん「すごい・・」
幸宏「(大きな声になって)ボカア(僕は)好きだなあ!アレ!僕なんか大好き。」
坂本「みゃあみゃあ」
坂本「テクノデリックを中心としましたコンサートもやっておりますけれども('81ウィンターライブ)
前の放送でも、ちゃんと、僕は宣伝しといたんだから・・」

コンサートの予定・日程連絡

坂本「何?夜のヒットスタジオ出るの?」
「12月14日夜のヒットスタジオ出ます。」

坂本「だから(テクノデリック)どういう風にイイんです?」
スタッフのヒト「値段の割には、お買い得です。」
坂本・幸宏「おおおおお~。お・み・ご・と~」

3・YMO 「ピュア・ジャム」(A面1曲目)
私は、この放送の時点で、11月21日発売の「テクノデリック」をまだ入手出来ていなかったが、とにかく、この「ピュア・ジャム」を聴いてぶったまげた記憶がある。
そして「やった!ついに、やった!やったんだ!!!」と興奮した。
「BGM」の毒には、いまいち鈍い反応だった15歳の少年も、このアルバムの明快な毒には、反応は早かった。
私にとって、この日の放送は、自分の人生で記念的・歴史的な放送だった。

この曲は、アヴァンギャルドでありながらPOP、ビートルズの匂いがする。
それもそう、幸宏の作詩・作曲。
この録音の際、そのスタジオの近くの喫茶店で食べたジャム・パンが余りに不味いので、そのジャム・パンについて語ったものだが、まるでそんな事実とは別で、隠喩的な詩である。

「たっぷり聴かせたいのですが、一杯かけたいので・・」と途中でFadeOut。

4・YMO 「京城音楽 ソウル・ミュージック」(A面4曲目)
この年、教授が韓国はソウルに行った際の、旅の描写の断片が詩になっている。
ガムラン、ケチャを大胆にテクノに導入した曲。

教授が基本的にはつくり、歌の部分を幸宏と作ったという。

5・YMO 「手がかり キー」(B面3曲目)
「YMO版ハイスクールララバイ」と教授が言う細野さんの曲。
「BGM」の「CUE」の続編。

心理学のセラピストと被験者の対話を詩に導入。

「何が見えます?」 「木が見えます」
「どんな木ですか?」・・・
という具合に。

6・YMO 「体操」
「テクノデリック」の極めつけ!と教授が語る曲。

7~エンディング・YMO 「後奏 エピローグ」(B面5曲目)

★連絡事項

12月1日 「みんなのうた」で「コンピューターおばあちゃん」放送開始。
(このシングルB面は、このサウンドストリート テーマ曲「フォトムジーク」を収録)
12月3日 上野で東京混声合唱団と矢野顕子のジョイントライヴ。
12月5日 ビートニクス「出口主義」発売。
12月15日 「サウンドストリート」リクエストに基づく1981年の年間ベストテン放送予定。
12月26日 法政大学で坂本バンド(=B-2Units)ライブ
12月27日 ツバキハウスでYMOライブ
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2005年冬への旅-①:12月10日土曜日 PS、元気ではありません、かたちんば。

2005-12-10 13:29:09 | 音楽帳
12月10日 土曜日
季節は、今週、冬に代わった。凛とした空気と、直立した美しき黄金色のイチョウ。
しかし血反吐を吐くような忙しい日々で、かたびっこ引きづり・目をうつろにしながら、毎晩0時以後の帰りで、何とか、小休止できる土曜日に至った。
話したいことは山ほどあるのに、毎日、それを話す間も無く、時は無残にも、年末に向かって走っていく。
昨夜は、0時に帰ると気持ち悪くて、夕食も喰わず、酒も飲まずで睡眠薬2錠飲んで、死んだように寝た。

さっきヒトからの電話で12:00に起きた。外は美しき冬の青空。

寝起きは、久々にレコードで音楽が聴きたくなり、がさがさと1枚選ぶ。

★ Durutti Column の12インチ 「Deux Triangles」(ドゥ・トライアングル) '82(ファクトリー・ベネルクスより発売)

1・フェイバリット・ペインティング
2・Zinni


1・Piece For Out Of Tune Grande Piano


かたちんばは、本来、このレコードは、乾いたピアノの音が良いので、夏、クーラーを聞かせた部屋で聴く事が多いが、今日は、静かな陽光の差す冬の部屋でだ。

元々は、この裏ジャケットを中古レコード屋さんのエサ箱で見てから、ず~っと気になっていた一品だった。子供と公園のベンチでたたずむヴィニ・ライリー。
写真を加工して水彩画のようなタッチに仕上げているが、このヴィニの亡霊のような細さと笑っているとも何とも言えない表情に、ひどく惹かれた。

A-1を初めて聴いたのは、坂本さんが、ミカドとDurutti Columnが来日した際に、サウンドストリートに来たのがきっかけであった。
一発聴いて好きになった。そしてそれがこの不気味なジャケットのレコードであった。

B面を通しての長い曲は、ピアノを練習しているのがそのまま収まったような曲。
陽光のたっぷり差す部屋で聴いて欲しい。

子供がそのピアノの近くで飛び跳ねている。
猫はひなたでまどろんでいる。
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ピロリの秋 : 第16回目 ベン・ワット「エンプティ・ボトル」'83

2005-12-04 10:56:44 | 音楽帳
'83年は、明らかに、行き詰まりつつあった、それまでのテクノ・エレクトロニクスへの反動から、アコースティックな流れがイギリスでも出てきた年である。
それを「ニューアコースティックムーヴメント」と当時、俗称をつけた。
(それが、形骸化したのが、今「ネオアコ」とか言われているもんだ。)

しかし、ベン・ワット、トレイシー・ソーンの音楽を初めて聴いたときの驚きはなかった。
何て切なくて、寂しく、繊細な人たちなんだろうと思った。

このベン・ワットの「Empty Bottle」も、1人ギターを弾き、歌うだけのものだが、この言いようの無い孤独感は何なんだ。
過ぎ去った季節を思いながら、独り、ヒトの居なくなった海辺で、歌っているみたいだ。

極めて私的な世界に留まり、他人と戯れることなく、ひっそりと、その私的な世界の中で、孤独な世界に佇むベン・ワット。
それはトレイシー・ソーンにも、ヴァージニア・アストレイにも感じられるが、ベン・ワットに感じるものがそれより強いように思った。

「ネオアコ」なんてしょーもない名前つけて本出したり、「超名盤!」とか大声で言ったり、商売ジャンルとしてたてまつったりせず、、、、

そういうヤカラどもから、出来るだけ離れて、、、、

私は、ベン・ワットとの、最初の純粋な出会いを大事にしながら、ひっそり独り部屋で、静かに聴きたい。


【写真】は、この曲の入った「ノース・マリン・ドライブ」。
'83年6月21日日本発売されたもの。
「何でもないよ」という曲も入っていて、そのタイトルが象徴的だが、
「このアルバムが!」とか「繊細なそのフレーズが!」とか、「ネオアコ」を売り物やファッションにしている「やかましい連中」から出来うるだけ遠くに離れて、ヒトに気(け)とられずに聴いていたい。
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ピロリの秋:第15回目ユーリズミックス「Love Is A Stranger・シティの夜」'83

2005-12-03 16:20:36 | 音楽帳
12月3日(土曜日)です。
紅葉と落ち葉の時期は大好きなので、クルマを走らせていると、その目に映る、草木の美しさと刹那さに目を奪われる。
しかし、今週を最後にどうやら、葉のほとんどは、散ってしまいそうな所まで来てしまった・・。

そろそろ冬へ季節は移ろってゆく。

***
昨日、ユーリズミックス「SweetDream」'83を聴いていた。
これも'83年秋にはよく聴いた。
といっても、ユーリズミックスのファンキーな面の曲は余り好きでは無いので、このアルバムでも聞く曲は決まっている。

●「Love Is A Stranger」
●「シティの夜」

やはり、この2曲だろう。

「シティの夜」は、実際のタイトルは「This City Never Sleeps」。
都市の夜の音がする。
夜の街を歩く音、人々の歩く・動くざわめき、エレベーターの音、地下鉄の走る音・・・・・。
様々な効果音をバックに入れながら、イギリスの憂鬱な、夜の錆びた都市の闇に潜んで、アニー・レノックスが低い・低い声で歌う。
最後、地下鉄の階段をコートを身にまとった人が革靴で駆け上がる音が遠ざかり、、デイヴ・スチュワートの鳴くようなギターと入り混じりながら、終わっていく。

錆びた街の陰鬱な夜の描写の断片。
そして、この音が終わっても、まだまだ、その夜は深い闇に向かって続いていくのだ。
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