
なにもしない・書かないでも過ごせるのは良いことだ。
といいつつ、気持ちはそれを裏切って寝ていた上半身を起こし、あぐらをかいた足に毛布を掛けて書く。
窓の外から朝のひかりは布を通し透けて、ときおり室内にやって来る。
6時台目覚め、何度か二度寝を試みる。
しかしもともと怖い夢で目覚めてしまったせいもあり、二度寝は出来ず起きる。
寝床で携帯電話をいじっていた。
身を起こせずだらけていたのだ。
見なくなって久しいテレビだが、ほとんど使ったこと無いワンセグの小さい画面。
ふだん気付くことのないもの。チャンネルを変えると千葉テレビが映り、地方局のローカルCM、温泉番組。なぜか千葉の温泉では無い。
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ふだん室内に居られないタチ・性分。
それに比して、今朝はフラットなこころもち。
休みに限らず空いた時間があれば延々と外を歩く、というふだんのところに気持ちが向かわない。
そこには、親の病気が思わしくないことがある。今日は義姉が診てくれる。
昨日は、その義姉とホワイトスネイクの来日公演を聴きに行った。親と観るはずだった代役。
休みとなると、計画立てて「ここではないどこかに」レジャーに向かわ「ねば」気が済まない人々とは異なるつもりだが、大して変わりはないのかもしれない。それでも今朝はいつもと異なる。
レジャーという言葉に、そんな戦後を呪った三島由紀夫さんの言葉を想い出す。
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気まぐれに堆積したチラシ類をめくり、読んだりハサミを入れる。
いつもの朝と同じなのは、福井謙二さんのラジオ「グッモニ」。
福井さんと水谷さんの息合ったやりとり。
その間にニュースが織り込まれる。
”ニュース言語”が実体や肉体を持たないのを、今朝は特に明白に感じる。
まるでヨソごとみたいに、定型語で悲しい身近な事故や死を伝え、くくろうとする。
一方では、遠い経済や国際を熱く語る人。
プリンスの「ミリオンダラー・ショー」が、「グッモニ」から流れる。
”1999””レッツ・ゴー・クレイジー”のイントロ、断片に始まり。
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一日の昼長さは日に日に短くなっており、今ではもう午後に入った時点で陽に赤が射している。
そんな季節。次第に冬に向かう気配。最低気温が10℃を切りそうなほど。
そういう時期になると、毎年この曲が脳裏に浮かぶ。
今年もこの曲を聴く頃合いになった。
■Fra Lippo Lippi 「Some Things Never Change」1983■


