二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

二胡作りへ繋がる道、その4

2010-07-21 12:56:45 | ■工房便り 総合 
固定観念という言葉があります。

多かれ少なかれ、人は誰でも、固定された価値観という物はあります。

それが、生まれた時に、両親から引き継いだ言語及び価値観の、基礎になると思います。

その基礎的な価値観によって、成長していく間の出来事を、処理していきます。

しかし、その価値観だけが、引き継がれた物ではありません。

もうひとつの価値観があります。これは、生まれながらに持った体質的なものと言ってよいでしょう。

殆どの人は、右利きの手を持っています。

100人に、数人、左利きの人がいます。

幾らお箸は右と訓練されても、出来ない左利きの人もいるのです。

これは、目に見える、形の体質的な要素ですが、

どうも、頭の中にも、このような基本的な、価値観があると思われます。

ですから、体も成長し始め、様々周りの環境を理解し始めたころ、

人は、反抗期に出会います。

親に教えられた、言語で、考え、

教えられた価値観で判断していたことが、

体質的な、他の価値観、(感覚的に許せないような)が現れて来、自分自身の中でも、対社会的な事柄でも、

解らないだけに、違う価値観が、今までの言語による価値観と葛藤を始めるということなのかもしれません。

ある意味この時に、初めて自我という物に気がつくのかもしれません。

この時問題は、体質的であるがゆえに、言語化できない価値観であるということが出来ます。

私自身、22歳の時に、出会った、「地図は地球そのものではない」という

一般意味論を,要約する言葉に、触発されて、

自分の考えていることは、物事の本体をちゃんと捕らえる考えなのかと、

自分自身の言葉を、検証し始めたのです。

ところが、私ごときの頭のレベルでは、検証しきれません。

当然でしょう。

例えば、貴方が二胡習い始めたばかりで、

先生のおしえる二胡の弾き方を、何故?と問いかけられるものでしょうか?

何年かして、その教えの通り進み、どうもここはもっと違う方が良いかもしれない、

と心が動きだしたとき、

既に貴方の手は、先生の教えてくれた形と動きに慣れてしまっています。

よほど、厳しく他の方法を身につけない限り、それを変えることは、なかなか難しいでしょう。

ましてや貴方の感性が、ここはこうあるべき、このように弾くべきと、思ったとしても、

それに変わる演奏法を見につけない限り、次には進めません。

それには、先生を変えるか、自分自身で、方法を見つけ出すことしかありません。

その時、以前からやっていた方法、どうやって捨てられますか?

物を作り出すという仕事は、このことの繰り返しなのです。

新しい素材、新しい技術、新しい工具、新しいテーマ。

それらに向かって常に自分自身を新しく作り変えて行くということなのです。

紫檀を削る時に使っていた刃物と、黒檀を削る刃物では、鋼も、刃の角度も違います。

速やかに、その木に合わせる削り方を会得しない限り、黒檀の作業には移れません。

黒檀なんかやらない、と思ってしまえば、そこで終わります。

しかしそこで木の目の読み方、導管の見分け方、刃物の角度、仕上げの、番手等、

全てを受け入れるよ、という気持ちを自分の中に作り上げない限り、私の中に、

黒檀で、二胡を作る道という、地図は、手に入りません。

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