私は、美術を専業にしてきています。
それなりに、評価もされていますし、実績を持って来ています。(お前何様だといわれないように書いておきます)
正直言って、中国の今の形の二胡が美しいとは思えないのです。
でも、皆さんは、これこそ二胡と思われて、購入しているのでしょうし、中国の民族楽器だから、この形で何の違和感もないという方も多いのでしょうね。
また楽器は形によって音が変わります。
二胡の部品の中で、撮ってしまっても音に全く影響ない、あるいは作り変えてしまっても音に変わりはないというのは胴の後ろについている花窓位でしょう。
これはどんな形のものをつけても音には関係ありません。
取ってしまって、中にタオルを突っ込んで、消音機の代わりにしている中国人の演奏家の方もいます。
これはなかなかに消音機としては優れているのですが、普通は気持ちの上で抵抗がありますね。
後の部品は、たとえ木軸一つでも、棹の先端の形でも変えたら変えただけ、本当に微妙ですが、音は変わります。
ですから、私の作った西野二胡は、中国の二胡の音がしないというのは本当です。
しかし楽器としての完成度としては、今私の作ってい二胡は先に進んでいると思っています、し、そのように評価してくれる方も多いようです。
でも二胡です。
二胡は中国の民族楽器だからあえてその形を変える事も無いだろう、そのようにおっしゃる方も又多いです。
そのご意見私も解りはします。
これは日本人の昔からの感覚でしょうか、古き良きものを残す、あるいは、渡来した物を貴重なものという事でおそのまま何百年も維持してきたりもします。
今は相当かけ離れてしまっていますが、1500年前から中国の文化を取り入れて、文字まで、あるいは思想まで取り入れて来ています。
それも本場の中国では、それらの物事がさらに進化されて形も変わってしまったようなものも、日本では渡来してきた当時そのままに作り上げそれを改良しようなどという事は考えないというのも、ひとつの日本式なのかもしれません。
良い例が、正倉院の琵琶ですね。
今作られている琵琶は、形自体はほとんど変わっていません。(中国では材料そのものからして変わってきていますし、形も変わってきていますし遥かに良く変えて来ています。
大きさは変わってもいますし弦も、たぶん大本のペルシャでは、ガットだったでしょうから、それが絹弦に変わったくらいかもしれません。(絹弦は中国で変わったのかもしれません)
二胡もそうですね、既にジョージガオさんの、二胡などは、あれが二胡なら、私の作った物は、まだ古い形を残しています。
江戸期には、儒教の中の朱子学が入ってきました、それそのままに受け入れるのですね。
江戸期300年学問と言えばこの朱子学を学ぶことでした。
たぶん、二胡を始める方にいまだに、今は無い中国文化に、特別な思いを持つ方も多いでしょう。
中国文化が好きで、二胡を始めた方もだいぶいらっしゃると思います。
また、一方で、テレビなどで流れてきた二胡の音を聞いて、良い音色と言う事で始めた方も多いとおもいます。
しかし、いずれにせよ二胡、今の二胡の製造方法から言って、どこかしらんその民族楽器の良い部分も悪い部分も残ってしまっています。
私たちは楽器と言えば、ほとんどの人が西欧の楽器で、育って来ています。
かなり楽器としては完成されたものが多いです。
ですから二胡を始めるとその扱いつらさにへきえきとして止めてしまう方もたくさんいます。
雑音だらけです、先生のように良い音になる可能性も感じられないからです。
これは、何も二胡そのものが悪いからではありません。
製造過程が、良い楽器を作れるような状態に無いからです。
本当にまれに、たぶんぜんたいの1%くらいが偶然良い楽器になります。
弾きにくい鳴りにくい雑音ポイ、
それこそ二胡なのだからそれで良いという方もたくさんいます。
二胡とは戦いだという方もいます。
その方たちは良いのです納得しているし、それが二胡だとおもわれているのを否定はしません。
でも、次はもっと高いのを購入して、良い物に当たるかもと言う期待で、皆さんの中にも何台も購入された方は多いと思います。
それでどうでしたか?
私は二胡と言う楽器が好きです、思い入れもありますし。
そして二胡の音色がすてきね!と、はじめられた方々に、私の出来る事は少しでも調整で良い音になるように、皮張替えて鳴るように、駒で鳴るように、弓で弾き易くなるように、と考えてきましたが、
今度は大本の楽器自体を何とかしようと考えています。
中国の形は変えないで。
それなりに、評価もされていますし、実績を持って来ています。(お前何様だといわれないように書いておきます)
正直言って、中国の今の形の二胡が美しいとは思えないのです。
でも、皆さんは、これこそ二胡と思われて、購入しているのでしょうし、中国の民族楽器だから、この形で何の違和感もないという方も多いのでしょうね。
また楽器は形によって音が変わります。
二胡の部品の中で、撮ってしまっても音に全く影響ない、あるいは作り変えてしまっても音に変わりはないというのは胴の後ろについている花窓位でしょう。
これはどんな形のものをつけても音には関係ありません。
取ってしまって、中にタオルを突っ込んで、消音機の代わりにしている中国人の演奏家の方もいます。
これはなかなかに消音機としては優れているのですが、普通は気持ちの上で抵抗がありますね。
後の部品は、たとえ木軸一つでも、棹の先端の形でも変えたら変えただけ、本当に微妙ですが、音は変わります。
ですから、私の作った西野二胡は、中国の二胡の音がしないというのは本当です。
しかし楽器としての完成度としては、今私の作ってい二胡は先に進んでいると思っています、し、そのように評価してくれる方も多いようです。
でも二胡です。
二胡は中国の民族楽器だからあえてその形を変える事も無いだろう、そのようにおっしゃる方も又多いです。
そのご意見私も解りはします。
これは日本人の昔からの感覚でしょうか、古き良きものを残す、あるいは、渡来した物を貴重なものという事でおそのまま何百年も維持してきたりもします。
今は相当かけ離れてしまっていますが、1500年前から中国の文化を取り入れて、文字まで、あるいは思想まで取り入れて来ています。
それも本場の中国では、それらの物事がさらに進化されて形も変わってしまったようなものも、日本では渡来してきた当時そのままに作り上げそれを改良しようなどという事は考えないというのも、ひとつの日本式なのかもしれません。
良い例が、正倉院の琵琶ですね。
今作られている琵琶は、形自体はほとんど変わっていません。(中国では材料そのものからして変わってきていますし、形も変わってきていますし遥かに良く変えて来ています。
大きさは変わってもいますし弦も、たぶん大本のペルシャでは、ガットだったでしょうから、それが絹弦に変わったくらいかもしれません。(絹弦は中国で変わったのかもしれません)
二胡もそうですね、既にジョージガオさんの、二胡などは、あれが二胡なら、私の作った物は、まだ古い形を残しています。
江戸期には、儒教の中の朱子学が入ってきました、それそのままに受け入れるのですね。
江戸期300年学問と言えばこの朱子学を学ぶことでした。
たぶん、二胡を始める方にいまだに、今は無い中国文化に、特別な思いを持つ方も多いでしょう。
中国文化が好きで、二胡を始めた方もだいぶいらっしゃると思います。
また、一方で、テレビなどで流れてきた二胡の音を聞いて、良い音色と言う事で始めた方も多いとおもいます。
しかし、いずれにせよ二胡、今の二胡の製造方法から言って、どこかしらんその民族楽器の良い部分も悪い部分も残ってしまっています。
私たちは楽器と言えば、ほとんどの人が西欧の楽器で、育って来ています。
かなり楽器としては完成されたものが多いです。
ですから二胡を始めるとその扱いつらさにへきえきとして止めてしまう方もたくさんいます。
雑音だらけです、先生のように良い音になる可能性も感じられないからです。
これは、何も二胡そのものが悪いからではありません。
製造過程が、良い楽器を作れるような状態に無いからです。
本当にまれに、たぶんぜんたいの1%くらいが偶然良い楽器になります。
弾きにくい鳴りにくい雑音ポイ、
それこそ二胡なのだからそれで良いという方もたくさんいます。
二胡とは戦いだという方もいます。
その方たちは良いのです納得しているし、それが二胡だとおもわれているのを否定はしません。
でも、次はもっと高いのを購入して、良い物に当たるかもと言う期待で、皆さんの中にも何台も購入された方は多いと思います。
それでどうでしたか?
私は二胡と言う楽器が好きです、思い入れもありますし。
そして二胡の音色がすてきね!と、はじめられた方々に、私の出来る事は少しでも調整で良い音になるように、皮張替えて鳴るように、駒で鳴るように、弓で弾き易くなるように、と考えてきましたが、
今度は大本の楽器自体を何とかしようと考えています。
中国の形は変えないで。
よく喝破されました 私も楽器はもっと曲線的なほうが美しいと思います
フレットもないし、糸の千斤なんかも最初は原始的に感じていました
曲としても中国本土main landよりも周辺地域の音楽のほうが好ましく思っています
でも、たぶん私は練習量は平均的な二胡学習者より多いと思いますし、不思議な吸引力を感じています
どうしたらきれいな音が出せるか考えまくり、楽器が鳴る音程というのも(できるかどうかは別として)わかり始め、回り道はあったにしても、鍵盤楽器では得られない、二胡ならではの収穫があったと思っています