先日、二胡の学校の名付け親の桐子さんと会いました。
この名付け親は3人いるのです
桐子さんそして峠岡慎太郎君、ついでながらほぉさん。
教室の件で話し合うごとに、それぞれから出てきた名前が同じだったというのは、
何か意味のあることなのかもしれません。
最近、彼女、ライヴ活動にかなり追われているようです。
以前から、ちゃんとした二胡の弾き方教えるのをやりたい、
もっと基本的な事をきちんとやって、なおかつ楽しい教室作りたいねと話し合ってはいました。
このような考え方は、以前から教室の事を話し合っていた、峠岡慎太郎君も同じです。
今までの二胡の教室というのはどちらかというと、、
まずは二胡を知ってもらいたい、ということが基本であったような気がします。
また、二胡そのものが手に入れにくく、その販売が中心となった、教室造りであったような気がします。
今、二胡は普通に中国や台湾などからも輸入することが出来ますし、
ご自身で中国へ行って購入することもできます。(日本製もありますよ)
ようするに楽器そのものが、ものすごく希少価値の高い物では無くなってきています。
また、峠岡慎太郎君や桐子さんのように、10代から二胡を弾き始め、
たまたま、二胡弾けるということではなく、二胡弾くそのものが、生活になってきている人達も出始めています。
二胡という楽器の特徴を最大限に活かせるようになった峠岡慎太郎君。
あるいは、北京音大に留学して今の最先端の演奏法を身につけてきた桐子さん、
勿論、そのように努力してきた人たちは、他にもたくさんいらっしゃいます。
またこれからも、上海音楽院へ留学しようとしている人たちなど、たくさんの若者たちが、
プロを目指しているような時代にもなってきています。
今までは、素敵な二胡の音色に魅かれて、その音色を何とか身近に感じようとしてきた二胡の学習でした。
どうしたら先生のように素敵な二胡の音色で弾けるのか、
その素敵な先生に何とか近づきたいという学習方法であったような気がします。
まだまだ異国のめずらしい音色でしかなかったのかもしれません。
しかし、単に二胡の音を楽しむだけでなく、
その演奏そのもの二胡による音楽も、きちんと楽しんでいけるようになって欲しいと考える人たちも出てきています。
桐子さんの言葉です。
「ただ楽しむだけでなく、自信を持てるようになってほしいのです、
そのお手伝いがしたい。
自信を持てたら、もっと楽しく二胡が弾けるし、
もっと二胡が大好きになれると思うのです♡」
♡マークこそ付いていませんがこれは峠岡君の言っていることと、同じです。
子供のころから二胡を演奏してきて、自身でも習うこと教わるという事を、
そして、教えるという事を考えてきて、現状の二胡愛好家の人々に接して、色々思うところがあり、
だからこその、「二胡の学校」という名前なのでしょう。
これからどのように彼らが進めていくのか、
そして皆さんがどのように参加していくのか、
教わりたい人、教えたい人、運営していく人、色々参加してくれると良いですね。
峠岡慎太郎君、桐子さん、だけでなくまだまだ、他にも若き演奏家たちはいます、
私のお会いした人の中には先生として参加してほしい方もいます。
彼ら彼女らが、アクセスの良い光舜堂を利用して、一堂に集ってくれるのは、爺の願いではありますが、
彼ら彼女たちが、焦る必要はないと思っています。
立ち上がりから完成する必要もないと思います。
参加する人それぞれの思いがつながって、一つの形になっていくと思うのです。
一つの事業を起こしていくのですから、若い人たちがどのように計画して、どのような学校作り上げていくのか。
私自身21歳の時に会社を興して、周りの人たちのおかげでなんとか形にできたということもありました。
ですから、今度はそのお手伝いがしてみたいというのが今の気持ちです。
二胡の世界も20年近くたってようやっと日本に定着してこようとしています。
教室、学校と言ったとしても、そこに参加する人たちが一緒にそれを作り上げていくのです。
日本の二胡の未来へ向かって、皆さんも、何かの形で参加してみませんか?
尚、私も楽器の調整というのをきちんとした講座としてやっていこうと考えています。
健全に鳴る楽器が無ければ、良い演奏というのはできません。
日本に入ってきた以上、日本人の手で良い状態にして行くことが必要なのです。
まだなってはいませんが、二胡の調整というのが、
一つの職業になりうるくらいな、高度な楽器調整講座にしたいです。
この名付け親は3人いるのです
桐子さんそして峠岡慎太郎君、ついでながらほぉさん。
教室の件で話し合うごとに、それぞれから出てきた名前が同じだったというのは、
何か意味のあることなのかもしれません。
最近、彼女、ライヴ活動にかなり追われているようです。
以前から、ちゃんとした二胡の弾き方教えるのをやりたい、
もっと基本的な事をきちんとやって、なおかつ楽しい教室作りたいねと話し合ってはいました。
このような考え方は、以前から教室の事を話し合っていた、峠岡慎太郎君も同じです。
今までの二胡の教室というのはどちらかというと、、
まずは二胡を知ってもらいたい、ということが基本であったような気がします。
また、二胡そのものが手に入れにくく、その販売が中心となった、教室造りであったような気がします。
今、二胡は普通に中国や台湾などからも輸入することが出来ますし、
ご自身で中国へ行って購入することもできます。(日本製もありますよ)
ようするに楽器そのものが、ものすごく希少価値の高い物では無くなってきています。
また、峠岡慎太郎君や桐子さんのように、10代から二胡を弾き始め、
たまたま、二胡弾けるということではなく、二胡弾くそのものが、生活になってきている人達も出始めています。
二胡という楽器の特徴を最大限に活かせるようになった峠岡慎太郎君。
あるいは、北京音大に留学して今の最先端の演奏法を身につけてきた桐子さん、
勿論、そのように努力してきた人たちは、他にもたくさんいらっしゃいます。
またこれからも、上海音楽院へ留学しようとしている人たちなど、たくさんの若者たちが、
プロを目指しているような時代にもなってきています。
今までは、素敵な二胡の音色に魅かれて、その音色を何とか身近に感じようとしてきた二胡の学習でした。
どうしたら先生のように素敵な二胡の音色で弾けるのか、
その素敵な先生に何とか近づきたいという学習方法であったような気がします。
まだまだ異国のめずらしい音色でしかなかったのかもしれません。
しかし、単に二胡の音を楽しむだけでなく、
その演奏そのもの二胡による音楽も、きちんと楽しんでいけるようになって欲しいと考える人たちも出てきています。
桐子さんの言葉です。
「ただ楽しむだけでなく、自信を持てるようになってほしいのです、
そのお手伝いがしたい。
自信を持てたら、もっと楽しく二胡が弾けるし、
もっと二胡が大好きになれると思うのです♡」
♡マークこそ付いていませんがこれは峠岡君の言っていることと、同じです。
子供のころから二胡を演奏してきて、自身でも習うこと教わるという事を、
そして、教えるという事を考えてきて、現状の二胡愛好家の人々に接して、色々思うところがあり、
だからこその、「二胡の学校」という名前なのでしょう。
これからどのように彼らが進めていくのか、
そして皆さんがどのように参加していくのか、
教わりたい人、教えたい人、運営していく人、色々参加してくれると良いですね。
峠岡慎太郎君、桐子さん、だけでなくまだまだ、他にも若き演奏家たちはいます、
私のお会いした人の中には先生として参加してほしい方もいます。
彼ら彼女らが、アクセスの良い光舜堂を利用して、一堂に集ってくれるのは、爺の願いではありますが、
彼ら彼女たちが、焦る必要はないと思っています。
立ち上がりから完成する必要もないと思います。
参加する人それぞれの思いがつながって、一つの形になっていくと思うのです。
一つの事業を起こしていくのですから、若い人たちがどのように計画して、どのような学校作り上げていくのか。
私自身21歳の時に会社を興して、周りの人たちのおかげでなんとか形にできたということもありました。
ですから、今度はそのお手伝いがしてみたいというのが今の気持ちです。
二胡の世界も20年近くたってようやっと日本に定着してこようとしています。
教室、学校と言ったとしても、そこに参加する人たちが一緒にそれを作り上げていくのです。
日本の二胡の未来へ向かって、皆さんも、何かの形で参加してみませんか?
尚、私も楽器の調整というのをきちんとした講座としてやっていこうと考えています。
健全に鳴る楽器が無ければ、良い演奏というのはできません。
日本に入ってきた以上、日本人の手で良い状態にして行くことが必要なのです。
まだなってはいませんが、二胡の調整というのが、
一つの職業になりうるくらいな、高度な楽器調整講座にしたいです。