言うまでも無く二胡は楽器です。
ところが案外、楽器と純粋に感じている方の方が、少ないようなのです。
多分、その音色に弾かれて、習い始めた方が多いからかも知れません。
音楽を奏でる、或いはその楽器が上手くなって、いずれプロ目指すというようなところに二胡の存在が無いようなのです。
今では、ヨーロッパの楽器は、日本の中に完全に定着しています。
むしろ、三味線や、胡弓、事などを習おうと言う人の方が少ないですね。
音楽をやってプロで生活すると言う感覚で言えば、三味線も、胡弓もその範囲には入っていないのではないでしょうか。
今の、私の年(もう64歳、まだ?)以下の方たちにとっては、楽器をやると言うおは、ギターや、バイオリンそしてピアノだったりします。
私お歳に近い人なら、まだ子供のころに、三味線の音や、尺八事等の音が、生活の中で聞こえて来るのは日常でしたが、
私の子供たちの年代、多分ビートルズの来日以来、楽器と言えばギターやバイオリンで有ったような気がします。
そんなヨーロッパの楽器が世界中を覆ってしまった世界の中に、今から20年ぐらい前から、ぽつっつと、二胡の音が聞こえて来る事が有るようになりました。
今ではNHKの大河ドラマの中のテーマ曲が二胡の極だったりするほど定着はしてきたようですが、
未だに、楽器としてより、その二胡の音色という部分での広がりのようです。
楽器にはどの楽器でも、音色というのは有るのですが、二胡に関して言うと、その演奏技術や、音楽的な感性というのを差し置いて、音色がまず前面に出て来るのと考えるのは私だけでしょうか。
この音色にこだわるのは、どうも日本人に特有な事のようです。
というより、音色に敏感、或いは音色という言葉に敏感。
このあたりは、もっと文学的なセンスのある人に、突き詰めてもらいたいですね。
即物的な、或いは、科学的な技術者の傾向が強い物作りとしては、これを言葉で突き詰めて行くのは難しいです。
そこで本題。
以前、劉継紅先生に、お会いして、言われました。
「西野さんの作る二胡は、雑音も無く、高音も大変良く出るし、弾きやすい。でも、私たちプロには、このような弾きやすさより、むしろ闘う相手としての楽器が欲しい」
闘う相手????
全く分からず、しばらくほおっておいたのですが、バイオリンを作り始めて、研究の為に様々バイオリンの本を読みました。
やはり、この世界ではストラデバリウス、でしょう。
ストラデバリウスの時代、その当時一番売れていたのは、ドイツのシュタイナーの楽器の方が売れていたと言われます。
その当時の構造としては、良く鳴ったのだそうです、むしろストラデバリウスなどより良くなったと言われます。というより、時代によっては、ストラデバリもこのシュタイナーの模倣をしている時期も有ったのです。
ところが、1800年代に入って、よりボリュームが求められるようになり、ネック(棹)を少し傾斜させて駒も高くし、弦の張力を上げたところ、ストラデバリウスや、アマティー等のイタリアものの方が、その改造に対応できたのだそうです。
理由は、ストラデバリウスやガルネリの方が、胴を構成する木の厚みが有ったからだと言われます。
シュタイナーの楽器は鳴りを求めるあまり、薄く木を削ってありましたから、弦の張力が上がると、胴の振動が酷く雑音の発生が酷く、時代の変遷に、この楽器がついていけなかったのだとも言われます。
ストラデバリウスやガルネリなどは、その張力に対抗できるだけの木の厚み持っていたのです。
では、ストラデバリウスなど、イタリア派の物が厚いにもかかわらず、何故弦の張力を上げる変革にもついて行けるだけの木の厚みが有りながら、それ以前に弦の張力が弱くても、良い響き、鳴りをしたかという疑問が有ります。
それは次回。
ところが案外、楽器と純粋に感じている方の方が、少ないようなのです。
多分、その音色に弾かれて、習い始めた方が多いからかも知れません。
音楽を奏でる、或いはその楽器が上手くなって、いずれプロ目指すというようなところに二胡の存在が無いようなのです。
今では、ヨーロッパの楽器は、日本の中に完全に定着しています。
むしろ、三味線や、胡弓、事などを習おうと言う人の方が少ないですね。
音楽をやってプロで生活すると言う感覚で言えば、三味線も、胡弓もその範囲には入っていないのではないでしょうか。
今の、私の年(もう64歳、まだ?)以下の方たちにとっては、楽器をやると言うおは、ギターや、バイオリンそしてピアノだったりします。
私お歳に近い人なら、まだ子供のころに、三味線の音や、尺八事等の音が、生活の中で聞こえて来るのは日常でしたが、
私の子供たちの年代、多分ビートルズの来日以来、楽器と言えばギターやバイオリンで有ったような気がします。
そんなヨーロッパの楽器が世界中を覆ってしまった世界の中に、今から20年ぐらい前から、ぽつっつと、二胡の音が聞こえて来る事が有るようになりました。
今ではNHKの大河ドラマの中のテーマ曲が二胡の極だったりするほど定着はしてきたようですが、
未だに、楽器としてより、その二胡の音色という部分での広がりのようです。
楽器にはどの楽器でも、音色というのは有るのですが、二胡に関して言うと、その演奏技術や、音楽的な感性というのを差し置いて、音色がまず前面に出て来るのと考えるのは私だけでしょうか。
この音色にこだわるのは、どうも日本人に特有な事のようです。
というより、音色に敏感、或いは音色という言葉に敏感。
このあたりは、もっと文学的なセンスのある人に、突き詰めてもらいたいですね。
即物的な、或いは、科学的な技術者の傾向が強い物作りとしては、これを言葉で突き詰めて行くのは難しいです。
そこで本題。
以前、劉継紅先生に、お会いして、言われました。
「西野さんの作る二胡は、雑音も無く、高音も大変良く出るし、弾きやすい。でも、私たちプロには、このような弾きやすさより、むしろ闘う相手としての楽器が欲しい」
闘う相手????
全く分からず、しばらくほおっておいたのですが、バイオリンを作り始めて、研究の為に様々バイオリンの本を読みました。
やはり、この世界ではストラデバリウス、でしょう。
ストラデバリウスの時代、その当時一番売れていたのは、ドイツのシュタイナーの楽器の方が売れていたと言われます。
その当時の構造としては、良く鳴ったのだそうです、むしろストラデバリウスなどより良くなったと言われます。というより、時代によっては、ストラデバリもこのシュタイナーの模倣をしている時期も有ったのです。
ところが、1800年代に入って、よりボリュームが求められるようになり、ネック(棹)を少し傾斜させて駒も高くし、弦の張力を上げたところ、ストラデバリウスや、アマティー等のイタリアものの方が、その改造に対応できたのだそうです。
理由は、ストラデバリウスやガルネリの方が、胴を構成する木の厚みが有ったからだと言われます。
シュタイナーの楽器は鳴りを求めるあまり、薄く木を削ってありましたから、弦の張力が上がると、胴の振動が酷く雑音の発生が酷く、時代の変遷に、この楽器がついていけなかったのだとも言われます。
ストラデバリウスやガルネリなどは、その張力に対抗できるだけの木の厚み持っていたのです。
では、ストラデバリウスなど、イタリア派の物が厚いにもかかわらず、何故弦の張力を上げる変革にもついて行けるだけの木の厚みが有りながら、それ以前に弦の張力が弱くても、良い響き、鳴りをしたかという疑問が有ります。
それは次回。
私のところに更にもう一つある二胡は、北京製の六角形のもので、これは私の二人目の先生からお世話になったお礼だと言って、私が遠慮したにもかかわらず、どうしてもと無償でいただいたものです。なかなか出番もなくて四半世紀の長い眠りについていたこの楽器に、数日前のこと、試しに新しい弦(千円程度の普通品)をつけてみたら、よっぽど弦との相性が良かったのかどうか、明るく元気いっぱいに鳴ってくれるようになり、手が離せなくなりました。楽器で何か音楽的な表現をしたいと思う者にとって、まず元気よく鳴ってくれることが一番ではないでしょうか。それから様々にコントロールする楽しみが生まれてくるのだと思います。八角形に慣れた者にとって六角形の困った点が一つ。角度が鋭いため、弦から弦へ換弦する際にともすると弓の竹が胴にあたったり角をまたぐ間のわずかな音の空白が生じやすいことです。光舜堂さんで見かけた六角形のものが拉きやすいと思ったら、この角に改良を加えて十二角形にしてありましたね。
8人の人が其々、みんな勝手に自分の好きな曲弾いているあの状況の中で、楽しんでいただけて良かったです。
でも凄かったですね、今度は合奏にでもしましょうか。
12角形、弾きやすかったですか。良く聴こえていましたよあの、騒音の中で、hikoさんの弾く、ドデカゴンのシャム柿。