二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

日本の二胡を作る。

2012-11-02 09:59:12 | ■工房便り 総合 
最近年を取るこのと良さが分かってきた気がします。

確かに、体力は落ちますが、それでもまだ7時半~22時半くらいまでは働けます。

気力も漲るようにとまでは行かなくとも、淡々と飽きずに一日一日と、二胡を作りつでけて行けます。
というよりやっと自分に一番向いている仕事に出会ったという気がしているところです。

大道具をやり、時々小説まがいの物を書き、家具屋を始め、クラフトの世界にも飛び込み、店舗の設計や住宅のインテリア、それらに引きずられるように、不動産会社と組んでマンションなどの設計もし、方やあり余った体力に物を言わせて、
夜の世界で、クラブ、やバーの製作をし、それまでは決して見えなかった暗闇の、裏の世界にも光はあるのだと、ダンサーを集めてトランスのイベントや、民族楽器のイベントなどなど、面白くはあったけれど、

何となくこれやってみませんかと言われてやった仕事ばかり。
加えて本まで書いたのだけれど、ホントに自分から作りたい物に出会ったのは二胡という楽器です。

何でこれをといろいろ考えましたが、面白いのは面白いというだけ、

何の理由も無くのめり込んでいます。

一日考えるのは二胡のことばかり、たまにバイオリンを作ってはいますが、これも結果としては新しい二胡の構造の為だったのだと後で気が付くばかりです。

自分自身が生まれてきて、65歳になったいま、これからの残りの人生がカウントダウンに入ったと、とても明確に解ったのは、インド紫檀と、コウキ紫檀に出会って、これこそ二胡という感じがつかめたからかも知れません。

木にはそれぞれ表情と、音色があるのだというのも、その音を自分自身で紡ぎだせるのも愉快なことです。

シャム柿に出会ったのも、今まで頭の中にあった日本人、日本、和、という物を目で見える形に自分で作ろうとしてきたクラフトの世界では満足できず、

その、墨絵の世界を形にもし、更には鳴らしてみればワビサビの世界、

姿と音とで和を感じさせる物がこの世にあるとは思いもしなかったのです。

こんな形で自分自身を表現できるというのは、皆さんには申し訳ないのだが、大変幸せなことなのですよと日々ほぉさんに、ささやかれ、

おかげで私も自分が活かせること見つけて感謝していますとまで言われ、なるほど、私の作った物が人様を幸せに出来るという実感を感じさせてくれる二胡を作ることの意味。

ギターの世界では垂涎のブラジリアンローズを訳も解らずテーブルなどに作っていたことも反省し、

紫檀紫檀という中にブラジリアンローズという朱ではない赤、ローズという明るい音が、響きとしてはその複雑さは、インド紫檀をも超えるのかと一々納得しながら削りだすこの小気味よさが、思わず顔をしかめるほどの手の痛みをも跳ね返します。

65歳になったというよりこれからのカウントダウン、第一日という響きが自分をワクワクさせます。

いくら頭を働かせても中国が判るわけでも無く理解できるわけでもありません、

二胡の寄って来たるその来歴をも頭の片隅では解るのだけれど、現実に体感するのは、納得できるのは目の前にある二本弦の楽器だけです。

それから紡ぎだされる音そのものが二胡であり、頭で描いた来歴などは自分の人生納得させようという、観念的な楽器に対する以外の想いだけでしかありません。

単純に今目の前にあるこの二本弦の楽器を今自分が作るとすればというだけでありたいと思っています、
教条的に二胡とはなどと大上段に振りかぶりたくも無いし、こうであったともいう気はないし、こうであるべきというのも恥ずかしい事です。
ただ、いまいる日本という国にある、現実に沢山の人が楽しんでいるということだけでその大事さをかみしめつつ二胡を作ろうと思っています。

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