この方にお会いしたのは、まだ二胡を習い始めて2ヶ月という時だったでしょう。
二胡を習い始めて2ヶ月というと皆さんもどんな感じだったかは、覚えていらっしゃると思います。
音を出してもらって、「何年ぐらい二胡弾いているのですか」と聞いたところ、「2ヶ月です」
当然絶句です。
演奏力と、音楽性という点で多分10年以上と私は踏んでいましたから。
お聴きすると、バイオリンのプロの演奏家でした。
それにしても、弓の毛に対する対応力というのはとても二胡に合っていました。
どんな楽器でも言えることですが、子供のころから、二胡に触れてきた方達とは違います。
大人になってから新たに楽器を始めるということがどれほど大変なことかは、或いはどれほど伸びていくかは、バイオリンを始めたばかりの私にはよく解ります。
ですが同じ様に弦を弓の毛で擦るのですから、似たようなものと考えるのは、これは無謀です。
反対に二胡を子供のころからやった人が、バイオリンを、大人になって始めてもなんとかバイオリンの音らしく聴こえるように弾けるには、1年ぐらいはかかるでしょうね。
何しろ、弓を弦に対して真っ直ぐに動かす為の運動のベクトルというのは全く違いますから。
しかしまれにいらっしゃるのです。運動能力というか、弓を使っていく感覚がとても優秀な人というのが、(後から出て来る鳴尾牧子さんのように、彼女は馬頭琴も弾きますから、多分バイオリンもすぐひけるのでしょう或いはもう弾けるのか?)
もちろん私も、他にもバイオリンのプロの奏者で二胡を弾いている人は何人かは知っています、或いはプロの奏者ではなくとも子供のころからバイオリンをやっていた方が二胡を弾いているのは知っています。
に、しても2ヶ月でここまで二胡の弦を鳴らすのは初めて聞きました。
それから何回かお会いして益々その演奏力を上げているのを聴いて、私は彼女をこの「日本の二胡物語」の演奏者の一人として参加する事をお願いたしました。
今回も様々な人に呼びかけましたが、皆さんのいろいろなご都合で参加できなかった方も大勢います、また日本のということに賛同なさらなかった方もいます。現実にはそんな演奏会ひとはあつまりっこないとまでも言われています。
人の出会い、人の御縁、これらをきちっと意識して私は自分の人生の最後を、この二胡を作る事、そして弾く人達との触れ合いというのを通して、私なりに今出来る事、そしてこの「日本の二胡物語」という一つの物語が楽しく皆さんに語りかけられるような状態にしたいと考えています。
今回の「日本の二胡物語」ショートバージョンを聴いた方、そして参加したかた、たまたま御縁がいまだに無く参加はしなかったが噂や、人伝えに聴いたりしてこの意義に感じた方々が、今後の日本の二胡の事を、考えてくれる一助になればと考えています。
また違うご縁の方々同士でもこのようなことが始まる一助になれば、とも考えています。
私は捨石になれればよいなと思っているのです。
同じ楽器でも弾く人が変われば違う音色を出します。違う民族がその楽器を弾いたとしたら元の国のとは違う音楽も、そして更なる発展をもするかもしれません。
そのきっかけになれば、、、と
話が飛びました。
今回は御縁ということもとても意識しています。
というのは皆さんもお分かりかと思いますが人と人との気持ちの繋がりでもあるからです。
それこそ私にとって生きている事だからです。
これからまだ続く「列伝」そしてそれをサブする方達の「外伝」それらが皆さんの気持ちに、心に少しでも残っていけば、というささやかな、きっかけ作りです。
今後はどなたかがまた違う御縁でいろいろ試してみるということが起きていくはずです。そのきっかけになる事が今回の目的です。
ともあれ、北川浩子さんの二胡は今日の時点で1年半です。
そして二胡を弾くという意味が、彼女の中で違うように感じるのです、中国の民族楽器ということより、純粋に二胡の音のような気がします。
北川浩子
10歳よりヴァイオリンを始める。武蔵野音楽大学附属高校卒業、武蔵野音楽大学器楽科卒業。
大学在学中よりソロ、カルテットの活動を始める。
1996年、1997年フィンランドクフモ音楽祭に参加、選抜による演奏会に出演好評を博す。
ソロ、カルテット,レコーディング活動、またBz,小沢健二等々ミュージックステーション、Hey Hey Hey 等バックストリングスを務める。
西川重三、レイ ハークス師事。
二胡を習い始めて2ヶ月というと皆さんもどんな感じだったかは、覚えていらっしゃると思います。
音を出してもらって、「何年ぐらい二胡弾いているのですか」と聞いたところ、「2ヶ月です」
当然絶句です。
演奏力と、音楽性という点で多分10年以上と私は踏んでいましたから。
お聴きすると、バイオリンのプロの演奏家でした。
それにしても、弓の毛に対する対応力というのはとても二胡に合っていました。
どんな楽器でも言えることですが、子供のころから、二胡に触れてきた方達とは違います。
大人になってから新たに楽器を始めるということがどれほど大変なことかは、或いはどれほど伸びていくかは、バイオリンを始めたばかりの私にはよく解ります。
ですが同じ様に弦を弓の毛で擦るのですから、似たようなものと考えるのは、これは無謀です。
反対に二胡を子供のころからやった人が、バイオリンを、大人になって始めてもなんとかバイオリンの音らしく聴こえるように弾けるには、1年ぐらいはかかるでしょうね。
何しろ、弓を弦に対して真っ直ぐに動かす為の運動のベクトルというのは全く違いますから。
しかしまれにいらっしゃるのです。運動能力というか、弓を使っていく感覚がとても優秀な人というのが、(後から出て来る鳴尾牧子さんのように、彼女は馬頭琴も弾きますから、多分バイオリンもすぐひけるのでしょう或いはもう弾けるのか?)
もちろん私も、他にもバイオリンのプロの奏者で二胡を弾いている人は何人かは知っています、或いはプロの奏者ではなくとも子供のころからバイオリンをやっていた方が二胡を弾いているのは知っています。
に、しても2ヶ月でここまで二胡の弦を鳴らすのは初めて聞きました。
それから何回かお会いして益々その演奏力を上げているのを聴いて、私は彼女をこの「日本の二胡物語」の演奏者の一人として参加する事をお願いたしました。
今回も様々な人に呼びかけましたが、皆さんのいろいろなご都合で参加できなかった方も大勢います、また日本のということに賛同なさらなかった方もいます。現実にはそんな演奏会ひとはあつまりっこないとまでも言われています。
人の出会い、人の御縁、これらをきちっと意識して私は自分の人生の最後を、この二胡を作る事、そして弾く人達との触れ合いというのを通して、私なりに今出来る事、そしてこの「日本の二胡物語」という一つの物語が楽しく皆さんに語りかけられるような状態にしたいと考えています。
今回の「日本の二胡物語」ショートバージョンを聴いた方、そして参加したかた、たまたま御縁がいまだに無く参加はしなかったが噂や、人伝えに聴いたりしてこの意義に感じた方々が、今後の日本の二胡の事を、考えてくれる一助になればと考えています。
また違うご縁の方々同士でもこのようなことが始まる一助になれば、とも考えています。
私は捨石になれればよいなと思っているのです。
同じ楽器でも弾く人が変われば違う音色を出します。違う民族がその楽器を弾いたとしたら元の国のとは違う音楽も、そして更なる発展をもするかもしれません。
そのきっかけになれば、、、と
話が飛びました。
今回は御縁ということもとても意識しています。
というのは皆さんもお分かりかと思いますが人と人との気持ちの繋がりでもあるからです。
それこそ私にとって生きている事だからです。
これからまだ続く「列伝」そしてそれをサブする方達の「外伝」それらが皆さんの気持ちに、心に少しでも残っていけば、というささやかな、きっかけ作りです。
今後はどなたかがまた違う御縁でいろいろ試してみるということが起きていくはずです。そのきっかけになる事が今回の目的です。
ともあれ、北川浩子さんの二胡は今日の時点で1年半です。
そして二胡を弾くという意味が、彼女の中で違うように感じるのです、中国の民族楽器ということより、純粋に二胡の音のような気がします。
北川浩子
10歳よりヴァイオリンを始める。武蔵野音楽大学附属高校卒業、武蔵野音楽大学器楽科卒業。
大学在学中よりソロ、カルテットの活動を始める。
1996年、1997年フィンランドクフモ音楽祭に参加、選抜による演奏会に出演好評を博す。
ソロ、カルテット,レコーディング活動、またBz,小沢健二等々ミュージックステーション、Hey Hey Hey 等バックストリングスを務める。
西川重三、レイ ハークス師事。