今回ある、超、超有名な経済学者の事務所を作っていました。
政治家も経済界も一目も二目置く人だそうです、(これ囲碁の言葉ですね、碁会所行きたいです)
かなりの教養人だそうです。
なんとそこから来た仕事が、、、、
胡桃の無垢の木の5メートルのテーブル。
今までわたしが作った最大のテーブルです。
厚み65ミリ、280キログラム。
3枚の木の板を横に接いでいます。
オイルで3週間もかかってとても良い色に仕上がりました。
「この木は何で、色が少しずつ違うの」こういう質問がきました。
「これは一枚一枚木の質が違うので、オイルの吸い込みが変わるから多少色が違うのですが、ワックスで拭きこんでいくとそのうち、皆よい飴色になってきますよ。」
と、私。
「いやいや私が望んでいるのは、皆同じ色の木です、ウレタン塗装でも良いから同じ色にして下さい。」
「えっ!、ウレタン塗装、着色見た目が同じであればよいのですか」
「そうです、その方がきれいです。」とその経済学者。
これでは中国の二胡と変わらないですね、木目が違うからと塗ってしまう感覚と言うのが私には判りません。
使い込んで、自然に色が変わって来る良さと言うのが判らないのでしょうか?
これ教養のある人なのかと、、、、
教養と言うのはなんでしょうね、、、
なんでも人工甘味料ぶち込んでしまう、最近の中国料理と言い、これは解りません。
素材の力と味を信じてそれを活かしていきたいのが、私の木工なのです。
でも、これはほんの一部です。
マンションなんか設計していて、木工屋でもある自分が、木枠の部分に、予算の都合でシートを選ばなければならない情けない状況もあるのです。
ある建築メーカーの、ゴムの木にウレタン着色をした板に合わせて、折角の胡桃の板を、着色しなければいけないこともあるのです。
確かに天然の木はそのまま使えばそれぞれ一枚づつ色が違います。
でも、磨きこんでいくと、とても良い飴色に全体がなっていき、色違いなど気にならなくなるのです。
時間をかけて磨きこむ良さと言うのは、忘れられてしまったようです。
そう言う事と言うのは他の事にも影響しませんかね、
他の事、勿論二胡のことです。
何も花梨に色付けなくても、何も白い木に、黒い塗装しなくても、、、
折角自然に、弾きこみさえすればよい音色になるものを、これが二胡の音だからと千斤でぐるぐる巻きこんで、鼻詰まりの、二胡っぽい音にしなくてもと思うのです。
弾きこんで弾きこんでやれば自然に良い音になると時間をかけて育てましょう。
最初から緩く皮を張って、これが良い二胡の音と、言うのもどうかと思います。
二胡は弾きこまないと二胡の音になりません。
多少雑音であれ、それでも弾きこんでいく、育てるという感覚を持って欲しいのです。
皆この経済学者の様な教養人になってしまうのでしょうか、
そしたら私は木工やめます。
もしかしたらホントに磨きこんだ良い木を見たことが無いのかもしれないとも思いますが、
でも、それって教養人?
政治家も経済界も一目も二目置く人だそうです、(これ囲碁の言葉ですね、碁会所行きたいです)
かなりの教養人だそうです。
なんとそこから来た仕事が、、、、
胡桃の無垢の木の5メートルのテーブル。
今までわたしが作った最大のテーブルです。
厚み65ミリ、280キログラム。
3枚の木の板を横に接いでいます。
オイルで3週間もかかってとても良い色に仕上がりました。
「この木は何で、色が少しずつ違うの」こういう質問がきました。
「これは一枚一枚木の質が違うので、オイルの吸い込みが変わるから多少色が違うのですが、ワックスで拭きこんでいくとそのうち、皆よい飴色になってきますよ。」
と、私。
「いやいや私が望んでいるのは、皆同じ色の木です、ウレタン塗装でも良いから同じ色にして下さい。」
「えっ!、ウレタン塗装、着色見た目が同じであればよいのですか」
「そうです、その方がきれいです。」とその経済学者。
これでは中国の二胡と変わらないですね、木目が違うからと塗ってしまう感覚と言うのが私には判りません。
使い込んで、自然に色が変わって来る良さと言うのが判らないのでしょうか?
これ教養のある人なのかと、、、、
教養と言うのはなんでしょうね、、、
なんでも人工甘味料ぶち込んでしまう、最近の中国料理と言い、これは解りません。
素材の力と味を信じてそれを活かしていきたいのが、私の木工なのです。
でも、これはほんの一部です。
マンションなんか設計していて、木工屋でもある自分が、木枠の部分に、予算の都合でシートを選ばなければならない情けない状況もあるのです。
ある建築メーカーの、ゴムの木にウレタン着色をした板に合わせて、折角の胡桃の板を、着色しなければいけないこともあるのです。
確かに天然の木はそのまま使えばそれぞれ一枚づつ色が違います。
でも、磨きこんでいくと、とても良い飴色に全体がなっていき、色違いなど気にならなくなるのです。
時間をかけて磨きこむ良さと言うのは、忘れられてしまったようです。
そう言う事と言うのは他の事にも影響しませんかね、
他の事、勿論二胡のことです。
何も花梨に色付けなくても、何も白い木に、黒い塗装しなくても、、、
折角自然に、弾きこみさえすればよい音色になるものを、これが二胡の音だからと千斤でぐるぐる巻きこんで、鼻詰まりの、二胡っぽい音にしなくてもと思うのです。
弾きこんで弾きこんでやれば自然に良い音になると時間をかけて育てましょう。
最初から緩く皮を張って、これが良い二胡の音と、言うのもどうかと思います。
二胡は弾きこまないと二胡の音になりません。
多少雑音であれ、それでも弾きこんでいく、育てるという感覚を持って欲しいのです。
皆この経済学者の様な教養人になってしまうのでしょうか、
そしたら私は木工やめます。
もしかしたらホントに磨きこんだ良い木を見たことが無いのかもしれないとも思いますが、
でも、それって教養人?
自分が無知と気がついとている人が本当に賢いのでしょう。