二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

新店舗に移るに当たって。光舜堂の考え方。

2014-06-07 11:11:25 | ■工房便り 総合 
二胡を作り始めてから7年目、光舜堂を初めて5年目にはいります。

二胡作り始めたのも初夏の頃ですし、光舜堂を始めたのも、最初の移動も、何となくこの時期が多いですね。

梅雨に入りました。皆さんの二胡はいかがですか?

かなり真剣に、二胡と言う楽器と取り組んできたつもりです。

勿論作ることもですが、修理調整という事では1500台を超えて見せていただき弾かせていただきました。

西野二胡は作るたびにそして新しい発見の度に名前も変わって来ていますが、ここにきて、たぶん、やっと一段落して自分の気にいる音色と言うのが何かが見えてきたようですし、その作り方が分かったと思います。

よく言われたのが、あんなものは(西野二胡の事)二胡ではない。二胡の音はしない。

そうです、今までの二胡と言う物の音がこれだと、もし判っている人から言えばそうかもしれないのです。

ある人には、もっと大きな音を出すように作りなさい。

大きな音で鳴るように作れば、私の楽器の方が、このところは良く鳴ると、7年も8年も使ってきた楽器と私の新品を比べられたり。

日本人には弾き易い楽器を研究して作ってあげなさいと言われ、出来上がってみれば、弾きにくい楽器をいかに弾きこむかがプロなのですと言われても来ました。

調整して下さいと、差し出された楽器の雑音を消してみれば、こんなのは二胡の音ではない、元に戻して。

日本に二胡物語を開催するにあたって、様々な演奏家にご相談していたところ、このような会は一楽器屋がそれも日本人のお前がやるような事ではなく、ウチの会ののようなところが開くべきだ、

ウチの会に所属するものは出させないと、、

いろいろ有りました。

先行き自分の寿命と言うことも、考えざるを得ない状況になって、これからの光舜堂はどうあるべきなのか、どのように仕事をしたら自分は納得できるのかと言うのをとても真剣に考えました。

二胡というこの二弦の楽器の音色が好きです。

たぶん、約5万ともいわれる二胡の愛好家、其々の描いている二胡の音色の違いと言うのを、すべて含んで、好きです。

そしてその5万分の一の二胡愛好家として、たまたま楽器を作る能力があったのを二胡神様に感謝しつつ、私が納得する音色と、好きな音色の楽器を作っていこうと思っています。

私は5万分の一ですが、唯一日本人で二胡を作って仕事にしているのだという自覚だけを持って行こうかと考えています。

それは、子供のころから始めたのではないけれど大人になって、二胡の音色にあこがれて、二胡を弾き始めた人たちの為に、お持ちの二胡を弾き易く、楽しく弾いていけるようにしようという事でもあります。

今の二胡は、弾きにくいです。初心者が直ぐに良い音になると言うものではありません。

そして雑音も多いです、、それが二胡の音だと、どうして言えるのかはわかりません。

何故ならば、CDなどから聞こえてくる音は雑音など無く、その音が好きで始めた二胡弾きさんも多いのに、二胡を始めると変に雑音の含んだ音を二胡だと言い切るひともいます。

この事は、好みですから、皆さんの好き好きで良いと思います。

私としては元々持っている倍音の多さが活きるのと、雑音とは違うと考えています。

綺麗な音で弾きたい綺麗な音色を出したい、あの先生の音のような、、

皆さん考える事だと思うのです。

ところが今の二胡は、それこそこ子供のころからレッスンしなければ弾ききるのが大変に難しいです。

かろうじて8角形北京系の6角形などは、皮の薄い分弾き始めでも直ぐになりやすいところがあります。

薄い皮は直ぐ振動しますから。それででしょうか北京系の二胡が好きと言う方も多いです。

私自身は違います、厚い皮の重量感のある音が好きです。

木がシッカリ出してくる音色が好きですから、やはりコウキ紫檀(小葉紫檀)そしてシャム柿、この二つは作り続けていくでしょう。

それから縞黒檀も好きな音ですし、真黒は材としてのその貴重性だけでなく、無いからこそ本物の黒檀の音を残していきたいとも思っています。

後はたぶん気が向いた時に、気が向いた材を使って実験的に作るのも楽しいかもしれませんが、それらがいつも光舜堂にあるとは限りません。

ある意味気ままに作っていきたいという事では、本業の、インテリアも、幸いにも月の内26日も空いている、ラジオガァデン画廊ですから、

椅子の展覧会など年に一度はやってみようと思っています。

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2 Comments

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混沌に蒔かれた一粒の種 (かから)
2014-06-08 12:53:34
光舜堂の新しい出発、おめでとうございます!!


二胡はまだまだ、知られていない楽器だと思います。

私自身、自分で手にしてみてはじめて、「知っていたのは名前だけだった」・・・と痛感しました。

また、遅まきながらそれから、中国の音楽をきいてみて、こちらも、「中国っぽい」という表層的なイメージしかなかったことに気がつきました。
独特のメロディーやフレージングの底にある、音楽としての魅力は、これまで馴染んできた音楽以上に豊かかもしれない・・・と思い始めました。

これは、今さらマネをしても、とても敵うものではない、どんなに上手くなったって、「〇○っぽい」までも行き着けずに終わるのではないか・・・

そんなふうに、呆然としているとき、光舜堂に辿りつきました。

ただ中国特有の民族楽器としてではなく、
「二胡の、普遍的な楽器としての性能を追求する」
という西野先生の姿勢は、単に技術的な問題を解決してくれるだけでなく、二胡を弾く場合の指針ともなり得る、と思います。

音楽の魅力は、突き詰めれば「人間の普遍的な情感」ではないかと思います。

どんな楽器でどんな曲を弾くにしても、奏者の想いを表現することが、一番大切なのではないでしょうか。
演奏技術は、そのためにこそ磨くべきものだと思います。

自分の中にないものを上手に真似てみても、所詮は「〇○っぽい」だけで、面白くはならない。
でももし、心の奥底にある想いを表現できれば、たとえ技術は稚拙でも、自分でも楽しめ、おのずと聞く人の心にも共鳴する音楽になるのではないか、と思うのです。

西野二胡も、調整技術も、日本の二胡奏者の自己表現を強力に支えてくれるものです。
(批判する人がいるとしたら、もう一度音楽の本質を考えてみてください、と言いましょう。)



混沌の中に蒔かれた種は、すでに芽生え、伸び始めています。


やがて花開くまでを見届けることができるかどうかはわかりませんが・・・
西野二胡と同時代に生きられることを、私は心から幸運に思っています!









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かからさん (nisino)
2014-06-09 08:43:29
太平洋戦争以前では、日本人にはヨーロッパのクラシックは理解できないし、西洋人のようには弾けないとも言われたようです。でも今は小澤征爾だけでなく沢山の指揮者や、ヴァイオリンニストが、コンクールなどでも優勝し始めています。明治になって、ヴァイオリンが日本に入ってきて明治20年ごろには鈴木さんが演奏家が使えるくらいのヴァイオリンを作り始めています。大正時代には10万台を超える日本製のバイオリンが世界中へ輸出されています。慌てず騒がず、私にできるだけの事を少しずつやっていきます、まずは弾き易い二胡でしょうね。子供のころから、二胡を弾いて来なかった人にも、ちゃんと良い音が出るような楽器です。
それと今の弾きにくいと壊れやすいのをどんどん直していきます。間違いなく、木でできた楽器は修理の必要なものです、その時に私の技術と知識が活きればよく、私は誰の楽器であろうと修理していこうと思っています。それが、私の仕事のメインでしょうね。
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