三味線や三線の胴は裏にも皮が張ってあります。
表も裏も皮に包まれている状態です。ですから胴全体が、振動板としての役を果たします。中の木も花梨で統一されていますから、殆どの三味線の胴は同じになると考えてよいと思います。三味線も三線も撥弦楽器ですから、その胴は太鼓と考えてよいと思います。もちろんその中に使っている花梨の胴のつくりや、切れる寸前ぐらいまでパンパンに張った皮の張りかげんに因って音のでは違いますが、基本的には皆同じと考えることはできます。
同じ胴に違う木の種類の棹をさしかえると、音色が変わります。
二胡にも同じことが言えるのではないでしょうか。
二胡の場合三味線などより胴は木の響きが大きく出ます。皮が表の一枚だけですから。
二胡は皮が胴の木を振動させることによって音色が作り出されます。
では、胴だけが鳴っているのかと言うとそのようなことはあり得ません。弦が張ってあるのは木軸を通して棹に張ってあるのです。木軸は直接弦を巻きつけるところですからこれも音に影響します。
二胡を構成するすべての木が音を出すのです。
現在の二胡は構成しているすべての木が同じです。同じではければならないのでしょうか?他の弦楽器はほとんどすべて、その部分によって材料が変わります。
棹の木、木軸の木、頭の木、胴の木それぞれに、その役割として最大の効果の出るように組み合わされています。
1500年代にイタリアのアマティーがバイオリンを作った時には、もうすでに今の形と同じ材料の組み合わせで作っています。ただそれ以前にバイオリンとしてではないですが、6弦や7弦などのビオラダモーレやそれに近い楽器の歴史が200年ぐらいはあります。まるきりアマティーが突然バイオリンを作り上げたわけではないと思うのです。
二胡は、1950年代の終わりに今の形になったと言われます。まだ50年ぐらいでしかないのです。それ以前の二胡と言われる仲間達には、ホントに様々なものがありました。地方によって胴の形も違い振動板も、木の物もあったり、中には指板のあるものもありました。共通なのは2本の弦で、表一枚の振動板、そして弓を弦の間に挟んでいるということです。
当然楽器ですから、ほんの小さな違いが音に影響します。木軸が、黒檀と紫檀では音の張りが違います、胴が竹と木では音色が違います。棹もやはり同じことが言えます。
それぞれの材料にそれぞれの良さ、あるいはその地方独特の味というのがあるのではないでしょうか。
今の二胡はそれらの中から、近代的な音を目指したのではないでしょうか?ヨーロッパの弦楽器やその他の楽器などのように、安定した、弾きやすい、全音がクリアーに出る楽器、合奏などに耐えられる楽器としての二胡を目指して今の形になったのだと思います。
いつの時代でも、どんな民族でも物つくり体質の人と言うのはいます。楽器つくりでいえば、より完全な鳴り響きを求めて、日々試行錯誤を繰り返す人々です。作ってはつぶし、これなら良いかと思いつつも更に手をかけて駄目にしてしまうということで、究極と思われる方向に向かっていく人々です。
そのことに意味があるのかと言われると、???ですが、追求を止められない体質の持ち主です。彼ら彼女達が今の楽器を作り上げてきたのでしょう。
続く
西野和宏
表も裏も皮に包まれている状態です。ですから胴全体が、振動板としての役を果たします。中の木も花梨で統一されていますから、殆どの三味線の胴は同じになると考えてよいと思います。三味線も三線も撥弦楽器ですから、その胴は太鼓と考えてよいと思います。もちろんその中に使っている花梨の胴のつくりや、切れる寸前ぐらいまでパンパンに張った皮の張りかげんに因って音のでは違いますが、基本的には皆同じと考えることはできます。
同じ胴に違う木の種類の棹をさしかえると、音色が変わります。
二胡にも同じことが言えるのではないでしょうか。
二胡の場合三味線などより胴は木の響きが大きく出ます。皮が表の一枚だけですから。
二胡は皮が胴の木を振動させることによって音色が作り出されます。
では、胴だけが鳴っているのかと言うとそのようなことはあり得ません。弦が張ってあるのは木軸を通して棹に張ってあるのです。木軸は直接弦を巻きつけるところですからこれも音に影響します。
二胡を構成するすべての木が音を出すのです。
現在の二胡は構成しているすべての木が同じです。同じではければならないのでしょうか?他の弦楽器はほとんどすべて、その部分によって材料が変わります。
棹の木、木軸の木、頭の木、胴の木それぞれに、その役割として最大の効果の出るように組み合わされています。
1500年代にイタリアのアマティーがバイオリンを作った時には、もうすでに今の形と同じ材料の組み合わせで作っています。ただそれ以前にバイオリンとしてではないですが、6弦や7弦などのビオラダモーレやそれに近い楽器の歴史が200年ぐらいはあります。まるきりアマティーが突然バイオリンを作り上げたわけではないと思うのです。
二胡は、1950年代の終わりに今の形になったと言われます。まだ50年ぐらいでしかないのです。それ以前の二胡と言われる仲間達には、ホントに様々なものがありました。地方によって胴の形も違い振動板も、木の物もあったり、中には指板のあるものもありました。共通なのは2本の弦で、表一枚の振動板、そして弓を弦の間に挟んでいるということです。
当然楽器ですから、ほんの小さな違いが音に影響します。木軸が、黒檀と紫檀では音の張りが違います、胴が竹と木では音色が違います。棹もやはり同じことが言えます。
それぞれの材料にそれぞれの良さ、あるいはその地方独特の味というのがあるのではないでしょうか。
今の二胡はそれらの中から、近代的な音を目指したのではないでしょうか?ヨーロッパの弦楽器やその他の楽器などのように、安定した、弾きやすい、全音がクリアーに出る楽器、合奏などに耐えられる楽器としての二胡を目指して今の形になったのだと思います。
いつの時代でも、どんな民族でも物つくり体質の人と言うのはいます。楽器つくりでいえば、より完全な鳴り響きを求めて、日々試行錯誤を繰り返す人々です。作ってはつぶし、これなら良いかと思いつつも更に手をかけて駄目にしてしまうということで、究極と思われる方向に向かっていく人々です。
そのことに意味があるのかと言われると、???ですが、追求を止められない体質の持ち主です。彼ら彼女達が今の楽器を作り上げてきたのでしょう。
続く
西野和宏
"二胡は皮が胴の木を振動させることによって音が出ます。"
これだと木がメインの発音部のように受け取れますが、実際は皮がメインの発音部だと思います。全体の音にいろんなニュアンスを与えるのが木の部分ではないかと思います。
皮を張っている木は剛体ではないので当然その振動が皮の振動にも影響するでしょうし、振動している木からももちろん何らかの発音はあるでしょう。
全体が振動系ですから複雑な振動が音に影響するのは間違いないとは思います。
音響インテンシティでも測ればどこがメインの発音部か明らかになりますが、面倒ですね。。。
只、私としてはひたすら作るだけです、木を見て感じるままに形にしています、もちろん考えてはいますが、結局はひらめきと感の世界なのでしょうか?考えていても思うようになるわけではなく、素直に木の言うことを聴くと言うのが一番正しいのでしょう。
音色のこととなりのことを書いているつもりで文章を間違えていますね。
順番として、皮が振動し、その皮の振動が木を振動させて、それぞれの樹種によって違う鳴りと、音色ができると言うのを、はしょってい舞いました、訂正します。明日。おやすみなさい。
地震、大丈夫でしたでしょうか。