今日、大阪市長選が告示された。この選挙は一騎打ちとなるため、すでにネガティブ・キャンペーンにまみれた泥仕合の様相を呈しているが、本質を見失ってはならない。
すでに10日に告示された大阪府知事選と合わせた今回のW選挙の真の争点は、「大阪都」構想の是非ではなく、ファシズムの全国化を阻止するかどうか、だ。要するに、W選の仕掛け人である橋下徹前大阪府知事と彼の「大阪維新の会」のような政治潮流が近い将来全国化するかどうかを占うのが、今回の選挙である。
このように橋下&維新の会を「ファシズム」と規定してそれの阻止をはっきり掲げている政党は現在、(筆者の知る限り)日本共産党だけである。他政党は表向き「対決」姿勢を見せつつも、実際には将来の国政での連携可能性をさえ視野に融和的ないし静観的態度を取っている。
それにしても、「ファシズム」という規定は大袈裟すぎると思われるかもしれない。しかし、根拠はある。
ファシズムの徴候として、内容的な面では強固な国家主義と差別政策、労組抑圧、手法的な面ではカリスマ的指導者による執行権独裁を挙げることができる。
すでに過去4年近い橋下府政において実現され、また今後橋下&維新の会が実現させようとしている政策を見れば、上記判断基準におおむねあてはまることがわかる。
国家主義に関しては、国レベルの国旗・国歌法をも凌駕する国旗・国歌強制条例がすでに制定されているし、差別政策としては、さしあたりはエリート選別化と教職員管理の徹底を目指す教育基本条例(案)、また朝鮮学校排斥などが見られる。*
*労組抑圧についても、橋下が市長に転じた大阪市で職員の選挙運動関与に絡めた「思想調査」の形で顕在化している(追記)。
ちなみに、府政とは直接関係しないが、橋下は弁護士でありながら強固な死刑存置論者であることも、国政指導者に転じた場合、差別政策の一環としての大量死刑政策への傾斜を予想させる。
また、手法的にも、橋下自身「独裁」を公然肯定するが、政策の上でも職員基本条例(案)で首長の意に沿わない職員を解雇できる仕組みが提案されている。また、政権与党に当たる維新の会の運営も橋下のカリスマ的独裁で成り立っている。
ただ、この「ファシズム」が古いファシズムと違うのは、表向きは選挙を重視し、既存の政治制度、とりわけ議会制の枠内で動く姿勢を示すことである。その意味では、これを古いファシズムと区別して、ネオ・ファシズム(以下、ネオファという)と呼ぶことができる。*
*ただし、橋下は議会制に否定的な姿勢も示しており、統治機構自体の改変も狙っているかに見えるので、そうするとネオファでなく、実は古いファシズムの性格を持つことになる。彼の今後の言動を注視すべきであろう。
こうしたネオファは、欧州でも近時、既成政党への幻滅感を背景に躍進する傾向がある。ただ、欧州型ネオファ(「極右」とも呼ばれる)では、おおむねグローバル資本主義や新自由主義には否定的であるのに対し、日本型ネオファの特徴として、それらに肯定的で、むしろ新自由主義の亜種とも解釈できる点を指摘できる。
実際、国家主義と新自由主義の同居という現象は、2000年代初頭の日本を支配した自民党の小泉政権で示されていた。小泉政権自体は既成の自民党体制の枠内にあり、ネオファではなかったが、維新の会のようなネオファも、5年あまりに及んだ「小泉時代」の派生物と見てよいだろう。
現在、大阪府議会では維新の会が既成政党を抑えて過半数を制しているように、既成政党への幻滅感は、大衆をしてネオファへの期待感を誘発している。同じことが国政レベルで近い将来発生する可能性は十分にあるし、既成政党はそれを見越してすでに「準備」しているようだ。
しかし、かつてドイツでナチスが国政進出を果たしたのも、地方選挙を通じてであり、また共産党をさえ含む既成政党の融和的姿勢が指導者ヒトラーの早期政権掌握をアシストする結果ともなった。
この教訓は今でも欧州では有効であるため、欧州でネオファが国政を席捲する可能性は低い。しかし、日本ではナチスのような真性のファシズムは未経験であり―しばしば「天皇制ファシズム」と呼ばれる戦時中の体制の本質は、軍部主導の戦時動員体制にすぎなかった―、大衆にも既成政党にもファシズムの免疫ができていないため、ネオファの全国化は現実の可能性として否定できない。
今般の大阪W選に橋下&維新の会が勝利し、大阪をネオファが征服すれば、その可能性は早まるであろう。そうした意味で、今般のW選は一地方選にとどまらない重要性を持つ。
とはいえ、地方選であるからには、さしあたり参加できるのは大阪府民とそこに包含される大阪市民だけであるが、筆者としては、アンチな大阪人有権者の慧眼を信じたい。キーワードはアンチ・ファシズム、略してアンチ・ファ選挙である。
[後記]
大阪人のアンチ性への期待も虚しく、結果は維新の会のW勝利であった。これは大阪人のアンチ性が失われた結果というより、アンチ性が維新の会に大いに利用された結果であろう。大阪の多数派有権者の目には、橋下が既成政党や官僚制への「改革派」アンチ・ヒーローに見えてしまっているに違いない。このような擬似改革(革命)性もファシズム旋風に共通する特徴である。