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マルクス/レーニン小伝(連載第33回)

2012-11-14 | 〆マルクス/レーニン小伝

第1部 略

第5章 「復活」の時代

(5)正当な再埋葬

偶像化と全否定の狭間で
 マルクスは人間として1883年に死んだが、その後「復活」し、“モスクワ教皇庁”となったソ連共産党によって偶像化された末に、なおも生き続けた。
 そのソ連共産党によって指導されたソ連邦はスターリンの下で強盛化し、その後は巨大な官僚制と常備軍に支えられた軍事的覇権国家として、米国とのいわゆる冷戦のライバルの立場で、核軍拡競争に明け暮れていく。そして、発達した「社会主義社会」への到達を謳い上げてから14年後の1991年、ソ連邦はあっけなく解体した。それとともに偶像マルクスも死んだ。彼は二度死んだのである。
 ソ連邦解体後は、資本主義の道を歩み直し始めた新生ロシアを含め、マルクス全否定の風潮が世界的規模で広がった。政体の上ではなおソ連型の共産党独裁体制を維持する中国でも、共産党指導下で事実上資本主義の道を行く路線転換を実現し、公式宣伝の場を除いては、もはやマルクスはお呼びでない。
 こうして今や、マルクスの偶像がバラバラに砕け散って、その破片が散乱している状態であるが、ほとんど誰もそれを顧みようともしない有様である。偶像化から全否定へ。これほど極端な扱いを受けた思想家は、古今東西マルクスをおいてほかにないであろう。
 しかし、マルクスを全否定する者も、彼が『資本論』第1巻の中で端的に示した次のような状況が現代的な形をとって地球的規模で生起してきていることは、認めざるを得ない。

「工場制度の巨大な突発的拡張可能性とその世界市場への依存性は、必然的に熱病的な生産とそれに続く市場の過充とを生み出し、市場が収縮すれば麻痺状態が現れる。産業生活は中位の活況、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞という諸時期の一系列に転化する。機械経営が労働者の就業に、従ってまたその生活状態に与える不確実と不安定は、このような産業循環の諸時期の移り変わりに伴う茶飯事となる。繁栄期を除いて、資本家の間では各自が市場で占める部分をめぐって激烈極まりない闘争が荒れ狂う。その領分の大きさは生産物の安さに比例する。そのために、労働力に取って代わる改良された機械や新たな生産方法の使用における競争が生み出されるほかに、どの循環でも労賃を無理矢理に労働力の価値よりも低く押し下げることによって商品を安くしようとする努力がなされる一時点が必ず現れるのである。」

 今まさに不確実と不安定の只中に置かれた我々は何をなすべきか。まずは散乱したままの偶像マルクスの破片を拾い集めて、彼を正当に再埋葬することである。ここでマルクスの正当な再埋葬とは、偶像化と全否定の狭間にあって、マルクスの「価値」と「反価値」とを総決算したうえで、マルクスを正しく乗り超えていくことと定義しておきたい。

マルクスの「価値」
 マルクスは何よりも価値論の理論家であったわけだが、マルクス自身の「価値」とは何であろうか。
 この問いに対する答えは様々であろうが、まず第一に、エンゲルスとともに『共産党宣言』を出した19世紀半ばという早い時期に、資本主義のグローバル化を未来完了的に見通していたことである。その意味で、マルクスはエンゲルスとともに、まさに現代21世紀の出来事の予見者であった。
 一方、主著『資本論』に代表される資本主義の分析を通じて、日常的な意識に上らないような不可視の構造を学理的に析出しようとする方法論を創出した点では、後に人類学の分野で確立された構造主義の先駆者としての価値を持つと言ってよい。
 ただし、すでに指摘したように、彼が資本主義の不可視の構造として析出したと信じた「剰余価値」は学理的なオーバーランによる錯覚であった。けれども、マルクス以降、彼が試みたような資本主義に対する体系的な批判を、マルクスを超えるような仕方で達成し得た者は一人もいないという限りでは、依然として大きな「価値」を保っている。
 さらに共産論の分野では、現実の社会的経済的諸条件を考慮しない―マルクスに言わせれば「空想的」な―共産主義を却下し、共産主義を現実的・科学的なものに練り上げようとした―後述するように、この点は問題含みでもあるが―共産主義の刷新者であった。
 なかでも、「資本主義が発達し切ったところで、共産主義への移行が始まる」という一見逆説的な原則命題は、後世の自称マルクス主義者たちに最も理解されなかった点であるが、このように旧来のものを単純に壊す革命ではなく、旧来のものの胎内に孕まれた新しい要素を解放してやる―言わば「脱構築的」な―革命という考え方は、ポストモダンの脱構築理論の先駆けとしての「価値」を持っていたと読み解くことさえできるように思われる。
 しかし、何と言ってもマルクス最大の「価値」は、在野・無産の知識人を最後まで貫いた彼の生き様そのものにあるのではなかろうか。
 そこには、反動的時代状況という制約もあったが、彼は並みの大学教授が決して及ばない学識を持ちながら大学教授のような安定した地位をあえて求めず、なおかつ自ら政党を組織したり、あるいはそれに加入したりして権力の座を追い求めることもせず、まるで中世の托鉢修道士を思わせるような自発的貧困の中にあって、自らプロレタリアートの頭脳となることを期待した理論を提供し続けたのである。
 こんな独異な生き方をした思想家は古今東西マルクスをおいてほかにないと言ってよく、そういう点での彼の希少価値はこれからも決して失われることはないであろう。

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