10年ほど前、自民党政権の外務大臣時代にお騒がせを演じた田中真紀子氏が、今度は民主党政権の文部科学大臣としてお騒がせを演じてみせた。しかし、前の「指輪紛失騒動」とは異なり、今度の「大学設置不認可」騒動は、社会的に意味ある騒動ではあった。
とはいえ、「大学の乱立防止」といった一般論だけで、具体的な理由を示さずに個別の大学設置の不認可を決定するというやり方は、行政執行における適正手続を無視した恣意的な手法であり、批判を浴びても致し方なかった。
しかし、問題の本質はそこにあるのではない。今回、大臣が1週間も経たずして方針撤回に追い込まれたのは、不認可決定を受けた学校側に訴訟を起こされ敗訴したからではなかった。三つの学校が速やかに徒党を組んで地元及び中央政界に猛烈な働きかけをしたためである。
これは、各産業界が政界に働きかけて自己に不利な行政処分や法案などを撤回ないし修正させるという日本ではお馴染みのやり方と全く同じである。このことは、大学に関してもある種の産業的利権が存在するということを示唆している。
日本の新設大学の多くは、短大や専門学校が大学化したもの―「大学成り」―である。その中には少子化の渦中で定員割れ・経営難に陥っているところも少なくないし、その傾向は今後一層高まるだろう。
さらに、大学の倍々ゲーム的増加で大卒資格の価値下落はさらに加速し、学生の就職難も深刻化する。とりわけ、従来から大学間の価値序列が厳然として存在する日本社会にあって、「大学成り」による新設大学は既存の著名大学に比べ社会的認知度・評価のうえで劣勢であることを考えれば、問題は深刻である。
そんなこともお構いなしに、毎年、大学の新設が続くのは、一部論者が解説してみせるような「競争政策」の結果なのではなく、大学誘致による「経済効果」を狙う地元財界や誘致実績を作りたい地元選出議員をはじめとする政治家らと天下り先の増加を狙う文科省―お馴染み「政官財トライアングル」の教育版―の思惑によると看破されるべきである。
こうした利権的思惑は、面倒で時間のかかる司法手続きによるまでもなく、所管大臣の(それ自体としては不当な)方針を数日で撤回・謝罪へ追い込めるほどの潜勢力を持つことを図らずも示してくれたのが、今回の「騒動」であった。