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戦後日本史(連載第6回)

2013-06-03 | 〆戦後日本史―「逆走」の70年―

第1章 「逆走」の始動:1950‐60

〔一〕「逆走」の発端‐朝鮮戦争

 占領=革命理念の反共・保守的な転回はすでに1947年の冷戦開始時に起きていた。よって、占領=革命の成果を逐次反故にしていく「逆走」の開始時点を1947年とみなしてもあながち誤りとは言えない。
 とはいえ、この年の5月3日には占領=革命の一つの法的な結晶である新憲法が施行されており、47年はその他の一連の革新的な新施策の裏づけとなる法体系が整備された年でもある。具体的に言えば、家父長制を廃し両性の平等に立脚する新民法、不敬罪や大逆罪等の神権天皇制時代の政治犯罪条項を削除した刑法改正、地方自治の確立を目指す地方自治法や警察の民主化の要となる警察法、財閥復活を阻止する独占禁止法などがそれである。
 こうして47年から50年までの占領第二期は、革命的な流れと反革命的な流れとがせめぎ合う期間だったと言えるが、後者の反革命的な流れを決定づけた出来事が、50年6月に勃発する朝鮮戦争であった。
 ソ連を後ろ盾とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が米ソの朝鮮半島分割支配ラインである北緯38度線を越えて米国を後ろ盾とする大韓民国に進攻して朝鮮半島の武力統一を目指したことをきっかけに始まったこの戦争は、東西冷戦の構造が実戦の形をとって現れた最初の国際戦争であり、終結したばかりの第二次世界大戦に続く第三次世界大戦の危険性をも孕む画期的な出来事であった。
 米国にとっては、日本を反共の砦として再構築する新戦略が早速実際に試される出来事でもあった。GHQは出来たばかりの新憲法の目玉である日本の非武装化を早くも見直さざるを得なくなった。
 開戦から2か月後の50年8月、GHQは憲法9条に対する最初の修正要求となる新たな武装部隊の創設に係る一つの重大な指令を発する。ただし、あらゆる戦力の不保持を明記した9条との形式上の整合性を担保するため、武装部隊の名称は「警察予備隊」とされた。
 「警察予備隊」というと、一見警察力を補完する重装治安部隊のような組織とも思えるが、実のところ、この新組織は占領軍が朝鮮戦争に出動し空白となった日本の防衛を目的として創設された準軍隊と呼ぶべき武装部隊であった。要員募集も当初こそ旧日本軍軍人は回避する形で行われたが、隊員の経験不足が問題となり、間もなく旧日本軍の軍人経験者も採用されるようになった。
 これをきっかけとして、先に公職追放されていた軍国体制要人らの追放解除が51年から52年にかけて実施される反面、50年以降、共産主義者に対する公職追放が行われた。朝鮮戦争は、こうして軍国の亡霊を呼び戻す結果となった。
 いわゆる「逆コース」施策は1950年にはまだ本格的に開始されないが、「逆走」自体はこの年を起点とすると理解されるのである。

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