第2章 現生人類の誕生と拡散(続き)
用具革命の加速化
小序でも述べたとおり、人類史は連続的な用具革命のプロセスであると言ってよいわけだが、そうした革命のプロセスを加速化させるきっかけを作ったのは、現生人類の功績である。それは特に石刃技法と呼ばれる新しい石器の製造技法を完成させたことである。
一つの石核から多くの剥片を取り出す石刃技法は、それによって多目的・多品種の石器の量産を可能にした。そこで、考古学の編年上はこれ以降を「後期旧石器時代」と呼ぶが、この技法の普及の意義をあまり過大評価すべきではないだろう。
石刃技法を技術として見たときには、この技法は従来の調製石核技法の発展的応用にすぎず、石核技法の技術的基盤の上に成立するものである。またこの技法自体は現生人類が発明したものではなく、アフリカでは現生人類以前から現れていたし、すべての現生人類がこの技法を一斉に実践していたわけでもなかった。とはいえ、おしなべて石刃技法の完成者は現生人類であったと言うことは許されよう。
石刃技法によって石刃の多様化と量産が進むと、それは用具全体の多様化にもつながり、実際により鋭利で漁撈向きの骨角器のような用具も進歩していった。こうした用具の多様化は用具革命のスピードを早めるとともに、現生人類の拡散・定住に伴い、地域的な特色をも示し始め、それが原初的な民族集団の標識となっていったであろう。
石器製造は長きにわたって打製であったが、石器の多目的・多品種化は打製石器を飽き足らないものとし、研磨されたより繊細な磨製石器の開発へと進んでいく。以後、いわゆる「新石器時代」と呼ばれる新たな時代に入る。文明の開始はなお未来のことであったとはいえ、来たるべき農耕の開始が待っていたのもこの時代であった。
交易活動の始まり
「交換価値はノアの洪水以前からある」。マルクスはこう述べて、人類の交換という行為の古さを強調していた。
用具革命が加速化して、用具の多様化が進むと、地域的な特色が濃厚になったことで、離れた地域間で用具やその原料を互いに交換し合おうとの考えが浮かぶことは自然である。このようにして交易が開始される。その点、石核技法の域を出ることのなかったネ人には少なくとも長距離の交易活動の形跡が見られないことは首肯できるところである。
こうした交易活動の始まりにはまた、前に述べたような現生人類の強欲さという性格も大いに関わっていたであろう。ただ、単純に自らの欲する物資を略奪するのではなく―略奪も現代に至るまで続く現生人類の最も粗野な「経済活動」ではあるけれども―、相手方が欲する物資を互いに代償として与え合う交換という行為には、打算的という現生人類のもう一つの性格が関わっていよう。
こうした現生人類の交易活動は、隣接する集団間のみならず、次第に遠隔の集団間でも行われるようなる。この場合、現生人類の際立った拡散を支えた長距離移動能力が大いにものを言ったであろう。
「自己の生産物の販路を常にますます拡大しようとする欲望に駆り立てられて、ブルジョワ階級は全地球を駆けめぐる」(『共産党宣言』)時代の到来はまだはるかに遠い未来のことであったが、交易のために長距離を駆けめぐる現生人類の不可思議な熱心さは、すでに先史時代に現れていたのだ。