5日に死去したマンデラ元南ア大統領の功績は、単に人種差別体制を廃止したこと自体にあるのではなく、30年近くも刑務所にいながらにして強固な人種差別体制を終わらせる革命的社会変革を成し遂げたことにあった。
マンデラは非武装主義の限界から武装闘争路線を支持し、そのために当局により30年近くも投獄され、活動を制約されたことから、彼が創設に関わった軍事組織は引き続き武装闘争を継続するも、マンデラ自身は結果的に「非武装」とならざるを得なかったのではあった。
そうした点では、獄中体験がなく、自由に武装闘争を展開できた毛沢東の「政権は銃口から生まれる」「革命は暴動である」という―むしろ通常的な―革命思想にはおさまらない独特の革命家となった。
アパルトヘイト廃止は決してマンデラ一人の手で成し遂げられたわけではなく、旧南ア白人政権によって殺傷された無名の人々の力と世界の民衆の支援にもよるが、マンデラ自身が武装闘争を直接に指揮していたら、革命は成功していなかったであろう。
とはいえ、革命成功後大統領となったマンデラの実績は決して手放しで称賛できるものではない。彼はアフリカにありがちな解放闘争指導者のように独裁者として権力にしがみつくことはせず、一期だけで退いたが、彼が後に残した体制はアフリカにありがちな旧解放闘争組織(ANC)による実質的な一党支配体制であった。
辛辣な見方をすれば、少数派白人独裁から多数派黒人独裁への逆転が起きただけであった。そのため、新興国として注目される新生南アも政治腐敗・失政というアフリカによくあるお決まりの道と無縁ではない。
マンデラは資本主義に反対する社会主義者を標榜していたが、大統領として社会経済構造の変革に大きく踏み込むことはしなかったため、南アの人種間経済格差は今なお解消されないばかりか、支配政党幹部とその周辺者が新興黒人富裕層を形成し、黒人間での格差も生じている。
結局、マンデラの主要な功績は反アパルトヘイト革命家としてのそれにあり、政治家としての側面についてはメディア上で追悼儀礼的に称賛されるほど過大評価できないということになるだろう。