ザ・コミュニスト

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歴史の継承と検証

2014-03-17 | 時評

継承するが、検証する━。従軍慰安婦問題に関する20年前の「河野談話」を巡る安倍政権の方針は一見矛盾しているが、必ずしもそうではない。「継承」とはあくまでも対外的な宣明であって、国内的には「検証」するという趣旨だからである。

このように内外二重基準となったのは、米国のとりなしで対韓関係を改善する前提的言質としての「継承」が必要だった反面、従軍慰安婦に懐疑的な安倍政権の本心は「検証」、すなわち事実上の談話否定にあるからである。

ただ、「継承」すると宣明した以上、表面上は否定できないから、非公開での「検証」によって「談話」の信頼性を揺るがせ、国内的には骨抜きにしようという作戦なのだ。憲法を改正せずに「解釈」で集団的自衛権を容認しようという手法とも共通するやり方である。

しかし、本当の「検証」とはいまだに当時の官房長官の名を冠して呼ばれる中途半端な宣明にとどまっている「談話」をさらに補強して、内閣の公式宣言に格上げすることであるが、現状そんなことを期待できる情勢にないどころか、その正反対の逆流が起きようとしている。

単に安倍政権が右派だからではない。「談話」を覆そうとするような愛国史観は学校教科書から慰安婦記述を一掃し、なおかつ世論に浸透することにも成功しつつあるからだ。「河野談話」は皮肉にも、そうした流れを作り出す起爆剤となってしまったのだった。

現在、愛国史観の流れを食い止められる有力な対抗軸は存在しない。一方、韓国でも愛国主義の高揚から歴史認識に関する譲歩が容認される空気は存在しない。かくして、歴史認識問題は向こう何世代にもわたり、暗礁に乗り上げるだろう。

暗礁から降りる方法はただ一つ、国家という神話的な枠組みから人々が解放されることである。国家が存在する限り、歴史認識は大なり小なり愛国史観の影響を受け、互いに衝突せざるを得ないからである。

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