ザ・コミュニスト

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イスラーム版オウムか

2014-10-08 | 時評

とうとう、シリア‐イラクで神政国家の樹立を企てるイスラーム原理主義勢力「イスラーム国」の戦闘員を目指そうという日本人の青年が現れたようだ。

「自分探し」ではないか、との観測もあるが、明らかに戦闘員参加を目指したのであれば、自分探しでは済まない。また就職に失敗したことで「現実逃避した」との報道もあるが、現に外国人戦闘員を募集しているイスラーム国も一つの「現実」であるから、「現実逃避」は当たらない。

イスラーム国は中東諸国のみならず、欧米先進諸国のイスラーム教徒からも広く戦闘員を募集する「多国籍軍」の形を取る点が、従来のイスラーム過激組織と異なる特徴である。

これらの傭兵は、中東からの移民やその子孫であり、母国では最下層に押し込められ、差別されてきた労働者階級の子弟であると見られやすいが、近年はイスラーム思想に感化された中流・富裕層からの参加者が増加しているという。

今回の報道の前にも、フランスで「社会を変えるため、シリアで革命を起こす」という15歳の娘の唐突な宣言に不審を抱いた両親の通報で、やはり過激派戦闘員を目指していたと疑われる少女のシリア渡航を未然に防いだケースが報じられていた。

日本のように従来イスラーム教が到達せず、まとまった形で信者が存在していなかった国で、年長の日本人イスラーム入信者の導きを受けていたらしい―日本で戦闘員募集活動が開始されていた可能性も否定できない―イスラーム国参加志望者が出たのも、そうした戦闘員像の変化を物語っているのだろう。

想起されるのは、1990年代半ばの日本を震撼させ、いまだ余波の残るオウム真理教である。あの時も、仏教系を称し、やはり神政国家の樹立を企てていたオウム真理教の過激思想に多くの高学歴青年たちが感化され、入信していたことが判明し、衝撃を与えた。

「社会を変えたい」という真剣な意思を持つ青年たちが、非宗教的かつ平和的な方法で社会変革に参加できるような組織が存在しない間隙を突いて、神政国家の樹立を呼号する宗教系過激組織が神仏を利用した巧みな勧誘活動で青年たちを引き込み、傭兵的に使役するという構造が出来始めている。

社会を変えたい青年たちの望みを正しい仕方でかなえさせる受け皿が出来ていないことについては、筆者のように社会変革の方向性を示しながら組織作りをしようとしない人間にも責任の一端はあり、そろそろ真剣に考えなければならない時なのかもしれない。

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