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晩期資本論(連載第9回)

2014-10-23 | 〆晩期資本論

二 貨幣と資本(3)

商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の産物、商品の転化した姿態または商品の金蛹を固持する必要と情熱が発展する。商品は、商品を買うためにではなく、商品形態を貨幣形態と取り替えるために、売られるようになる。

 マルクスは価値尺度と流通に続く貨幣の第三の機能となる蓄積の機能について、こう述べて、「貨幣は蓄積貨幣に化石し、商品の売り手は貨幣蓄蔵者になるのである。」とまとめている。すなわち、商品流通が貨幣蓄積を生む。また「商品流通の拡大につれて、貨幣の力が、すなわち富のいつでも出動できる絶対的に社会的な形態の力が、増大する。」とも指摘されるように、貨幣は社会的な権力として、金権政治の源泉ともなる。

金を、貨幣として、したがって貨幣蓄蔵の要素として、固持するためには、流通することを、または購買手段として享楽手段になってしまうことを、妨げなければならない。

 流通の拡大から貨幣蓄蔵が生じるが、貨幣蓄蔵を効果的に行なうためには、貨幣が徒に流出することを避ける必要があり、そのため、「勤勉と節約と貪欲とが彼(貨幣蓄蔵者)の主徳をなすのであり、たくさん売って少なく買うことが彼の経済学の全体をなすのである。」誰もが経験的に知っているように、勤勉と節約と貪欲は効果的な貨幣蓄蔵の秘訣である。
 ここでマルクスは勤勉をプロテスタンティズムなどの特定の宗教倫理と結びつけず、商品流通の拡大が生み出す貨幣蓄蔵者の行動原理として導き出そうとしていることが注目されるが、蓄蔵者像が定型的にとらえられており、蓄積行為に対するより立ち入った行動科学的な分析に及んでいないのは、時代的制約であろう。

蓄積貨幣貯水池は流通する貨幣の流出流入の水路として同時に役だつのであり、したがって、流通する貨幣がその流通水路からあふれることはないのである。

 貨幣蓄積は「貯蓄」として、マルクスの巧みな比喩によれば「貨幣貯水池」を形成するが、この貯蓄がまた購買手段や投資に充てられることで市中の貨幣流通が調節されることがあるのは、巨大な貯蓄を擁する晩期資本主義社会でははっきりと観察できる。

独立な致富形態としての貨幣蓄蔵はブルジョワ社会の進歩につれてなくなるが、反対に支払手段の準備という形では貨幣蓄蔵はこの社会の進歩ととともに増大する。

 ブルジョワ社会を消費社会と置き換えてみれば、消費社会における蓄蔵とは蓄蔵のための蓄蔵ではなく、消費手段としての貯蓄という性格が強まるので、貨幣の消費=支払手段としての意義が大きくなる。このように、支払手段としての貨幣の機能が発達し、機構化していくと、価値尺度機能と流通機能との間の矛盾齟齬から、「貨幣恐慌」のような通貨危機が生じやすくなることも指摘されている。

世界市場ではじめて貨幣は、十分な範囲にわたって、その現物形態が同時に抽象的人間労働の直接に社会的な実現形態である商品として、機能する。

 貨幣は国内市場を飛び出して、世界市場にも流入する。このことは、世界貿易が発達した晩期資本主義にあっては、もはや常識となっている。マルクスはそうした「世界貨幣」―今日でいう国際通貨―に至ると、貨幣は「貴金属の元来の地金形態に逆もどりする。」と論じているが、これは持論である労働価値説を再確認する補説であろう。しかし、脱金本位制下の現代では、地金取引ではなく、為替という抽象的な通貨取引を通じて世界貨幣=国際通貨が動いていることも、周知のとおりである。

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