17 性的事犯について(上)
性的事犯は、伝統の「犯罪→刑罰」体系の中では、「性犯罪」と呼ばれてきたものに相当する。ただし、性的事犯はより広く「性暴力犯」・「性風俗犯」・「性表現犯」という三つの系統を包括する概念である。
この三系統の中で最も実害が大きく、深刻なのが「性暴力犯」である。「性暴力犯」の典型は性行為を強要することであるが、現代では性的自己決定の意識が高まり、「性暴力」の概念枠は広がる傾向にある。
そのような方向性は、「犯則→処遇」体系の下でも変わらない。むしろ、伝統的な「犯罪→刑罰」体系においては、男性優位的な価値観を下敷きに、性犯罪の成立範囲を限定する傾向も見られたところ、性的自己決定の今日的水準からすれば、相手方の意思に反して性的行為全般を強要することを包括して「性的強要犯」ととらえるべきである。
この性的強要犯は異性間のみならず、同性間でも成立する。性的自己決定の観点からは、同性間といえども、およそ性的行為は合意に基づくものでなければならないからである。
また、性的行為の意味と結果について十分理解していない16歳以下の未成年者や知的障碍等のために性的行為の意味と結果を理解できない相手と一般的な成年者との性的行為は、双方の形式的な合意に基づいていても、成年者側による性的強要行為とみなされる。
性的強要行為は相手方の明確な意思に反して性的行為を強要する型の犯則行為であるから、当事者間に性的行為に関する合意がなかったことがその成否を分けるポイントとなる。そのため、合意の有無が司法の場でしばしば激しく争われ、被害者が新たな屈辱感を味わうこと(第二次被害)も少なくない。
だからといって、当事者間の合意に関する立証基準を緩和すれば、冤罪に直結しかねない。そこで、性的強要犯とは別に、他人を支配下に置き、自己または第三者に対して性的に奉仕させる「性的支配犯」という規定を設けることが有益である。
性的支配犯の場合、被害者は消極的・受動的ではあれ、性的行為に対して同意を与えてはいるのであるが、全体としては加害者の支配下に置かれているのである。
その際、性的奉仕が有償か無償かは問わない。たとえ被害者が性的奉仕に明確な対価が与えられる営業に雇われていたとしても、雇用主の支配下で逃れることのできない状態に置かれていたような場合は、雇用主は性的支配犯となる。
こうした規定が存在すれば、当事者間に合意がなかったことの立証が困難で、性的強要犯が成立しない場合であっても、性的行為の状況からして性的支配犯が成立する可能性は残され、被害者の負担を軽減することもできるだろう。
ところで、性暴力犯の被害者は羞恥心や恐怖心から被害の通報を行なわないこともままあり、結果として性暴力犯には立件されないケースも少なくないと見られる。通報されなくとも、捜査機関が犯則行為を認知した場合は捜査を開始すべきであるが、被害者側の明示的な意志に反してまで捜査を強行することは被害者にとって苦痛となる。
そこで性暴力犯の捜査は、被害者側の明示的な意志に反して開始されてはならないという条件をつけることが被害者のためになるであろう。
それでは、「犯則→処遇」体系の下で、以上のような性暴力犯に対する処遇はどうあるべきか。まず、最も重大な性的強要犯の場合には性欲を自律的にコントロールできない病理性の強い犯行者もしばしば見られるため、最大で第三種矯正処遇が相当である。
ここで機微な問題となるのは、性暴力犯の加害者として圧倒的多数を占める男性の中でも、通常の矯正プログラムをもってしては矯正困難な者に対して、去勢措置を施すことの是非である。
その点、外科手術による去勢措置は非人道的であり、現代的な人権観念からは容認できない。しかし、薬物による去勢措置に関しては、厳格な医学的判断に基づく限り、そうした究極の処分をためらうべき科学的理由は乏しい。
そこで、第三種矯正処遇のうち、医療的処遇を内容とするB処遇の対象者で、去勢措置を施さない限り終身監置とせざるを得ない者に対しては、例外的に薬物去勢に付する可能性を持たせてよいと考える。
その際、去勢の必要性に関する3人の医師による一致した判断に加え、さらにその判断の是非を確認する司法審査を経て実施されるべきである。
ところで、性的強要犯の中には、いわゆる痴漢のように一過性の犯行者も含まれてくるので、保護観察相当の場合もあり得る。そこで性的強要犯の処遇の幅は、第三種以下の矯正処遇から保護観察まで広く取られることになるだろう。
他方、性的支配犯は多くは計画的に、しばしば組織的にも実行されるため、一過性ということは考え難く、保護観察相当の場合はないが、犯行者の病理性は一般に性的強要犯の場合ほど高くないと考えられるから、第二種以下の矯正処遇が相当な場合が多いと考えられる。