ザ・コミュニスト

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ワクチンの計画的分配―資本主義の試金石

2020-11-29 | 時評

先般、サウジアラビアで開催されたG20首脳会議における共同声明の中で、国際製薬資本による新薬完成が間近と取り沙汰される新型コロナウィルス・COVID‐19のワクチンに関して、「全ての人々が手頃な価格で公平に利用できるよう、努力を惜しまない」という文言が盛り込まれた。

この文言が単なる政治的なリップサービスではなく、真に世界的規模で、全世界の津々浦々にワクチンを供給するプランの表明だとしたら、直ちに疑問となるのは、今日ではG20すべてが前提とする資本主義世界市場において、いかにして、薬剤の計画的かつ全世界的な公平分配という人類史上前例のないプランを実現させ得るかということである。そのような壮大なプランは、二つの点で市場経済原理と衝突する。

一つは、そもそも、ありとあらゆるモノを商品として貨幣と交換で生産・流通させる資本主義経済においては薬剤といえども一個の商品であるから、市場価格で購入できる者だけが早い者勝ちで取得できることが原則であり、特定の商品を統制価格で全員一律に購入させることは資本主義的ではない。中でも厳重な特許権にガードされた薬剤の場合、開発企業の市場支配力は強大である。

仮に、その点は今回限りの“人道的な”例外として公平な価格統制を認めるとしても、一国のみならず、全世界的規模で、津々浦々のすべての人に「手頃な価格」で届くように、特定の薬剤を生産・供給するという施策は、通常の市場経済ルートでは不可能なことである。実際、そのような生産と供給がどのように行われるのか、イメージできない。

文字通りにそのようなプランを実行するには、全世界的な規模での計画経済システムを一時的にでも構築しなければならないはずであるが、一国内においてすら計画経済システムを忘却し、そもそもそれを発想することすらやめてしまった世界において、グローバルな規模での計画経済システムの構築などできるのであろうか。

さらに付け加えれば、今般のワクチンは異例の超短期的な治験による見切り発車的な供給となるため、全世界的なレベルでの精密かつ中立的な薬剤の認可制度と、供給後の不測の事態に備えて、ワクチンの作用/副作用に関する継続的かつ中立的な監視システムとが必要であるところ、現存国際社会はそのようなグローバルな規模での適確な規制や監督を可能にするほど、統合されてはいない。

いずれにせよ、今般のワクチン供給問題は、資本主義にとっての歴史的な試金石として、見ものとなるだろう。もし、G20首脳会議の共同声明どおりに全世界への公平分配が見事達成されれば、コミュニストながら、資本主義をいくらかは見直さなければならないかもしれない。

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近代革命の社会力学(連載補遺8)

2020-11-29 | 〆近代革命の社会力学

二十四 第一次ボリビア社会主義革命

(4)「軍事社会主義」とその自壊
 ボリビア第一次社会主義革命は軍部内の中堅将校が主導するクーデターに外部の労組勢力及び新興の社会主義政党である統一社会主義者党が相乗りする形で、革命に発展したものである。
 そのため、およそ3年に及んだ革命の間、何度か改造された政権は軍人と労組幹部、政党人の軍民連合政権の形態を取っていたが、主導権は軍人にあり、軍人主導で社会主義的な施策が展開されたため、「軍事社会主義」と命名された。
 その点、統一社会主義者党は復員軍人団などからも支持されていたものの、革命後も明確な形で支配政党となることはなく、幹部党員が入閣はしたものの、革命政権の一翼に関わったにすぎなかった。
 革命指導者は革命後、最初の正式な大統領に就いたダビド・トロ大佐と革命直後に暫定大統領となっていたヘルマン・ブッシュ中佐の二人であるが、チャコ戦争の英雄でもあったブッシュ大統領のカリスマ性が勝っていた。
 約3年に及んだ革命はトロ政権期と続くブッシュ政権期とに二分されるが、1年余りで終わったトロ政権期の政策で中心を成したのは、米系資本スタンダード・オイル社の国有化である。
 この国有化は国民の支持を得たが、妥協的なトロは間もなく、より急進的なブッシュと不和に陥る。その結果、1937年7月、ブッシュの再クーデターによりトロは解任され、チリへ追放された。
 こうして、満を持して正式の大統領となった30代のブッシュ大統領はその武勲や容姿からもカリスマ性は充分だったものの、政治力ではトロに劣っていた。そのため、政権内外での軋轢が大きく、長期政権は望めなかった。
 それでも、ブッシュ政権期には、1938年の総選挙を経て招集された国民会議で新憲法が採択されるという重要な成果を得た。この憲法はボリビア史上初めて労働者の権利や社会保障、さらには先住民の権利を保障する画期的な憲法であった。
 しかし、ブッシュには政治調整能力が欠けていたうえ、「軍事社会主義」では政策展開上の核となる政治勢力が定まらず、革命に相乗りしていた左派勢力も強力な指導者を欠き分裂していき、政策の円滑な展開は困難であった。
 苛立ったブッシュは1939年4月、自ら「独裁者」を宣言し、国民会議を停止したうえ、大統領令を通じて政策を展開する権威主義に転換した。この「独裁」はいっとき成功し、労働法の制定のほか、鉱山貨幣のようなユニークな政策も実現された。
 鉱山貨幣とは、基幹産業である錫の輸出で獲得された外国為替をすべて中央銀行に納付させたうえ、必要な外貨額と株主への配当に充てるため最大5パーセントを還付し、残余は1ポンド‎‎当たり141ボリビアーノの‎‎交換レートで譲渡するというもので、後の第二次社会主義革命で実施された鉱山会社の国有化には進まないまでも、錫産業の収益を国が取得する初の試みであった。
 とはいえ、ブッシュの独裁に対する批判は強まり、彼は次第に追い詰められていく。その結果、1939年8月、ブッシュは拳銃自殺を遂げた。暗殺説も取り沙汰されたが、公式には自殺で確定している。
 こうして、「軍事社会主義」はブッシュの死により、唐突に終了することとなった。彼を継承できる軍人は他におらず、また分裂した社会主義諸政党も革命を継承するだけの力量を持たなかったからである。個人のカリスマ性に頼った革命の自壊現象と言える。
 この後、1940年代、軍人出自のグアルベルト・ビジャロエルの政権時代に、いっとき社会主義革命が復活するかに見えたこともあったが、全体として1952年の第二次社会主義革命までは保守回帰の時代となった。

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