先月31日から、コロナ・パンデミックのため一年延期された国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)がグラスゴーで開催されている。
そもそも温暖化対策の緊急性が高調されるわりには、スポーツ大会並みに一年延期とは悠長であるが、その点はおいても、このような豪華な国際環境行事―それ自体、専用機・送迎車の使用、会議・レセプション等々で温室効果ガスを排出中―を何十回重ねても、本質的な成果は上がらない。それはまさに本質を避けているからである。
気候変動問題に関して定着している「産業革命前の気温」という比較規準の意味を省察する必要がある。「産業革命以前」ということは、言い換えれば「近代資本主義勃興以前」ということであるから、それ以後の温暖化の主因は、まさに近現代の資本主義経済活動にあることを示している。
その点、資本主義というものは「きょういくら儲かるか」が至上命題、地球の未来など悠長に憂慮していては、利潤競争に勝てない世界である。過去一年余りは新型ウイルスというエイリアンの侵入によって資本主義経済が大きく攪乱されたが、収束が見え始めれば、元の木阿弥である。
それどころか、パンデミックに最も直撃され、多くの生産活動が総停滞した昨年でさえ、温暖化は歯止められなかった。すなわち、国連の世界気象機関(WMO)によれば、2020年の世界の平均気温は、産業革命前の1850乃至1900年の平均に比べ約1.2度上昇して、約14.9度と過去最高水準で、とりわけ資本主義的経済成長著しいアジアにおいては、昨年一年間の平均気温は観測史上最高を記録した。
また、労働という面から見ても、地球環境への高負荷産業ほど集約的に多くの雇用を抱えている。そうした産業の斜陽化、ひいては失業につながる厳しい環境規制には、労組も反対であるから、環境関連では労使の利害が一致し、労使一体での反環境反動が展開されている。
そうした労働者の雇用不安にも一理以上あるわけで、となれば、資本主義と言わず、さらに遡り有史以来の貨幣経済―その到達点が現代資本主義経済―を廃して、貨幣収入(賃金)と暮らしの連動を絶たない限り、本質的な環境保全は不可能である。
よって、資本主義と言わず、貨幣経済をきっぱり断念し、環境保全を考慮した地球全域での計画経済を軸とする共産主義に移行しない限り、温暖化の進行―それだけにとどまらず、地球環境の総劣化―を本質的に食い止めることはできない。すなわち、貨幣経済の廃止を通じた地球共産化が本質的な地球環境保全への道である。
それを、地球環境劣化の元凶である資本主義にあくまでも固執しながら、技巧的な排出権取引を通じた「市場メカニズム」による気候変動枠組みなどをうんぬんするのは、偽善―環境的偽善―にほかならず、そうした術策を協議する華やかなCOP会議は偽善の宴である。
しかし、そうした環境的偽善は現状、COP会議で美辞麗句を披露し合う各国首脳のみならず、ほとんどの環境運動団体/活動家によっても共有されていると思われる。かれらも資本主義を無意識に受容しているか、少なくとも貨幣経済を疑ってはいないだろうからである。相当に「急進的」な団体/活動家らでさえ、地球環境保全を目的とした地球共産化という提起には懐疑的・否定的ではないだろうか。
資本代理人である首脳らには期待できないから、まずは環境運動団体/活動家たちがそろそろ本質的に覚醒するのを待つほかないが、残された時間は限られる。