序
近代科学(以下、単に「科学」という)は、16世紀から17世紀に欧州で誕生して以来、今日までたゆまぬ発展を見せてきた知的な体系であり、営為でもある。それは外部の政治経済とは無縁に、数学や実験を通じて純粋に自然界の法則に迫ろうとする象牙の塔の産物のように見える。
ところが、仔細に見れば、全くそうではなく、実際のところ、科学は、科学者が望むと望まざるとにかかわらず、政治経済に巻き込まれ、そうした外部環境と持ちつ持たれつの関係にもある。そのことは、まさに現在当面している感染症パンデミックでも露になっている。
平素は、地味な、まさに象牙の塔の中で行われるウイルス学のような典型科学が、グローバルなパンデミックに際して政治経済の中に投げ出され、政治家や資本家によって都合よく利用され、もみくちゃにされている姿が目撃されてきた。このような経験は、近代科学始まって以来、初のことと言えるかもしれない。
しかし、科学の歴史を通覧してみれば、科学が何らかの形で時の政治経済に巻き込まれていくことは、その草創期から今日まで変わらぬ宿命のようである。その意味で、科学は近代以降の社会構造全体の中で、経済の下部構造に対し、政治と並んで上部構造を成す主要素であるとも言える。
本連載は、そうした科学と政治経済との絡み合いに関して、科学の草創期から今日に至るまでの軌跡を検証する試みである。その際、科学の創始期をガリレオ・ガリレイの地動説の提唱に置くことにする。
実際のところ、科学の創始期をどこに取るかについては諸説あるようだが、地動説はそれまでの自然界に対する人間の見方を根底から変革する意義を持つ学説であり、まさに科学の出発点にふさわしいからである。
ガリレイと言えば、その学説が問題視されて宗教裁判にかけられたことでも著名であるが、この「ガリレオ裁判」がまさに当時のイタリアにおける宗教=政治動向とも密接に連動していたのであり、まさに科学は草創期から政治経済に巻き込まれていたのであった。
一方、本連載の終点は、現在進行中のパンデミック問題がふさわしかろうが、この件はまだ歴史の中に収められていないので、詳しく言及することは避け、むしろ科学が公衆衛生対策を通じて社会統制の道具として利用されるようになってきた近現代的潮流の一環として触れるにとどめる。
なお、科学といった場合、自然法則の発見を目的とする「自然科学」とともに、広義には経済学に代表されるような「社会科学」も包括されるが、これはその対象分野や方法論とも自然科学とは異質であるので、錯綜を避けるためにも、社会科学は検討対象から除外する。
※以下に、予定されている章立てを示す(変更の可能性あり)。
一 近代科学と政教の相克Ⅰ
二 御用学術としての近代科学
三 商用学術としての近代科学
四 近代科学と政教の相克Ⅱ
五 軍用学術としての近代科学
六 電気工学の誕生と社会革命
七 医薬学の発展と製薬資本の誕生
八 科学の政治的悪用
九 科学と政治の一体化
十 核兵器と科学
十一 宇宙探求から宇宙開発へ
十二 情報科学と情報資本の誕生
十三 科学と社会統制