ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代科学の政治経済史(連載第33回)

2022-12-12 | 〆近代科学の政治経済史

七 科学の政治的悪用:ナチス科学

科学は政治的に中立たるべきであるが、20世紀には科学が政治に吞み込まれる事態がそれ以前の世紀よりも多発する。19世紀末から20世紀前半にかけての科学的な躍進は科学の政治的な利用価値をも高め、野心的な政治家・政治勢力の関心を呼ぶこととなったからである。その結果、20世紀前半期に成立した二つの政治体制下では科学と政治の結びつきが著しく強まったが、その一つはナチス・ドイツが大々的に行った科学の政治的悪用である。ナチスは科学を統制下に置きつつ、そのイデオロギーや政策遂行の手段としても大いに活用し、いくつかの分野では注目すべき成果も上げたため、ここに「ナチス科学」と呼ぶべき政治化された独自の科学世界が出現したと言ってよい。


ナチス科学の成立と概要
 ナチス科学とは特別な科学体系のようなものではなく、ナチスが政治的に利用(悪用)した科学的学説(謬論を含む)や科学的成果(人道犯罪を含む)の集積を包括して言うに過ぎない。
 しかし、ナチスは政権成立の初期から科学を政治的な統制下に置くことに関心を示し、1934年には帝国科学・教育・国民教化省を設置して、科学行政を開始している。この新設官庁は元来プロイセン州の科学・芸術・国民教化省にヒントを得たものであるが、中央省庁として設置するのはナチス・ドイツが初である。
 同省初代大臣となったのは、まさにプロイセン州科学・芸術・国民教化大臣から抜擢されたベルンハルト・ルストであった。ルストは哲学専攻のギムナジウム教師からナチス活動家となった政治家であるが、ナチス体制崩壊に伴い自害した1945年まで一貫して大臣職を務め、まさにナチスの科学及び教育行政の中心にあった人物である。
 教育も所管する立場から、ルストはナチのイデオロギーの基軸であるアーリア人種優越論を内容とする人種学を必修科目とするなど、教育のナチ化も推進した。
 帝国科学・教育・国民教化省には内部部局として科学局が置かれ、科学行政の中心部局を成した。初代局長にはナチ党員の数学者テオドール・ヴァーレンが就いたが、1937年以降は化学者のルドルフ・メンツェルが就き、彼がナチス科学における実質的な司令塔役を担い、後に原子爆弾開発計画にも関わった。
 また1937年には、航空学を除く科学的な基礎/応用研究に関する中央計画を立案する帝国研究評議会が設置され、その実務はメンツェルが担った。
 ただ、評議会の初代会長には軍人で軍事科学者でもあるカール・ベッカーが就いたように、この評議会はナチスが科学研究を軍事利用することを主たる狙いとする機関であり、実際、第二次大戦開戦後の1942年には帝国軍備弾薬省に移管されている。
 こうして、ナチスが科学を政治化していく過程で、ナチ化され、ナチスの政治目的に協力・奉仕する御用科学者の集団が形成され、彼らがナチス科学の中枢を構成した。
 そうしたナチス科学を分野別に分ければ、[Ⅰ]人種学(人類学)[Ⅱ]生物・医薬学(特に優生学)[Ⅲ]物理・工学[Ⅳ]軍事科学の四分野を数えることができる。

コメント