江戸時代町人人口は50万人以上あった。
南北の奉行所に勤める大江戸市中の治安を担当する役を「三廻り」=「定廻り」、「臨時廻り」、「隠密廻り」、
があったが、昼間市中を見守りパトロールする役は「定廻り」の仕事であった。
この役を担当したスタッフは南北奉行所とも、わずか6人。計12名で大江戸の市中をパトロールしていた。
「臨時廻り」も12名いたが、定廻りの見落としがちな部分を見て廻る。隠密廻りは臨時廻りを務め上げたベテランから選んで任命されたエキスパートだった。いずれにしても定廻り、臨時廻り、隠密廻り、を加えても50名に満たない警察官で江戸の治安を守っていた。
役職としては「同心」である。同心は岡っ引き、をポケットマネーで雇い協力させていた。
銭形平次、半七捕物帳、の様な事件はそうそう起きなかったそうです。殺人事件はせいぜい1件あるかなしかという程度。享保年間の20年間に伝馬町の牢屋に被疑者が一人も入っていない時期があったと記録が残っているそうです。
理由の一つが一つの町毎にある「自身番」制度。町内会の事務所の様な所で、地元で維持されていた交番と消防の拠点であった。
この土壌が世界に誇る「交番制度」の礎となっている。長屋の名主、など地域のとりまとめ役が大いに治安維持の支えとなっていたようだ。
現代の町内会制度は江戸時代の向う三軒両隣の関係が築けていない。味噌、醤油の融通をしていた時代、井戸端会議が出来た時代、共同トイレ、銭湯での肌の触れ合い。こんな関係は江戸時代に戻らなければ無理となった。