判断ミスは誰にでもある。判断ミスを認識したら次の判断に生かすしかない。教訓として捉えて自身の研鑽に生かす。多くの判断ミスをしてきた。今でも時々思い出す。 慰めの言葉は「世の中全て塞翁が馬」失敗、判断ミスを悔やむ多くの人が好んで使うモットーだ。
判断ミスによる失敗は自身が負わねばならない。そのことを転嫁していてはいつまでも自身の教訓とならない。責任と結果。辞職も一つの責任の取り方。多くの職業を「辞職」という形で乗り切った人も多い。
教訓を新しい職場で生かしているだろうか。同じ事をくりかえしていないか検証も必要だ。
短気は損気。年齢が上がるに伴い忍耐力が衰える。怒りっぽくなる。上司との関係は良好だろうか。同僚とは。
ステージが異なる相手に相当の対応ができているか?自身のステージを誤解してはいないのか。目上の人を目上の人と思わない。
常に「上から目線」で言葉を発してはいないか。自身の常識が非常識と傍から思われてはいないか検証できているか。
常に気配りは必要だ。いわずもがな。わかるはず。そんな甘えが自身にはないか。検証も必要。
一日でも早く生まれた人は「先生」と呼ばれる。廻りを見渡すと先生だらけの学生時代。定年退職して地域に入った。地域は高齢者ばかりだった。ここでも「先生」ばかりだ。
仕事はボランテイア。給与はない。やりがいと生きがいを個々人が共有できるかで活動の輪と成果が生まれてゆく。意識は上下関係はない。役割分担はある。明確に役割りを意識できているかが問われる。
そこに一番の問題がある。明確ではないのだ。仕事は自身で探すもの。自分の力量に応じたものとなる。
活動の評価は他人がする。自身には生きがいとやりがいの自己満足が報酬。楽しめなければ続かない。報酬の為の我慢など必要のない世界。職制の報酬がない世界。どこまで意識が共有できているかが問われる。