参加者15名、おおよそ毎月この人数の句会となる。
うち女性が6名、男性の多い句会は荒れることがない
指導者の参加もみず、これだけ団結できるのは個々が
精神的に大人であることは勿論、お世話役のご苦労も
おおいにある。
選句においても他者の句への批判も少なく、善意のある
前向きな姿勢はこの座のもっとも良い所。
普通なら主宰選が結果というところ、私はこの座の互選を
大切に考えている。
先月の柴又吟行句会の主宰選の結果を見て、些か疑問が
ありメールでその旨の説明を請う。
吟行句の主宰添削選で季戻りになるのはどう解釈すれば
よいのか?また句に詠われた景色が違う点についての疑問
返信にはこうあった。「吟行句=当季吟とは指導していません
吟行で授かった句を舌頭千転して推敲するとき、その作品に
もっとも相応しい季語を斡旋することは適切な手法であって
夏に吟行しているのだから夏以外の季語を使ってはいけない
と決め付けるのは窮屈ですね。俳句は芸術なので実景、実感
をもとに生まれた句であっても推敲によって季が変わって
しまう事はよくあります。逆に実景を見ないで、空想や言葉
遊びで句をひねる事は邪道俳句と私は考えます。
この種の話は何度かしたことが有ります。
メンバーのなかにはご存知の方もおられます。」
主宰の主旨はよく理解できた。しかしその旨を会員全員に
指導できてないと迷いのまま学習していくことになる。
昨日の句会でのころころの選句5句。
夏袴護符に切り火の鬼子母神
汗拭い調理道具の品定め
客の指す鉢上ぐ腕に汗走る
はるなちゃん朝顔市の迷子かな
涼しげなかなの文なるたけくらべ