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9月9日

2006-09-09 06:14:00 | Weblog


     きんみずひき(赤塚植物園)

 金色の袋のついた穂を、熨斗袋(のしぶくろ)の水引に
 たとえたもの。 赤い花のつく水引とは科がちがう。

    居る(いる、をる)について・・

感覚的なことを言葉でお話するのは、なかなか難しい、
先日の句会での最高点句二句のうち一句S様のお句。

   桟橋に犬の来てをる送りまぜ

漢字で書けば居るとなります、限られた十七音の中で
物語や景色の広がりは一文字の使い方で違うことが
あります。掲句 なぜ 「をる」 なのか?
私なりに解釈をしてそこから理解のヒントが得られればと
思います。 もし、このお句の内容から「犬」ではなく「子等」
ならば 「をる」 よりも 「いる」 がいいかもしれません。
「いる」は「いる、いない」と言ったように少し動的な要素が
感じられます。それに対して「をる」はじっとしている、つまり
静的な要素が有るものと思っています。どちらかと言うと
「ある」のイメージでしょうか?

   桟橋に犬の来てをる送りまぜ
ならば、犬が主をじっと待っているかの様子が感じられ
   桟橋に子等の来ている送りまぜ
ならば、出漁や旅の送迎での子等の動きのある様子が
覗えてくるわけです。

 私には文法的にどうこうと言う知識はありませんが、
 鑑賞者にいかに伝えられるかという事が大切だと
 思います。
 
 お句の講評についてはボード上で申した通りです。
 あらためて、俳句という短詩の隅々に行き届いた措辞、
 季語の斡旋。教わるばかりの秀逸句だと思います。

 

 

 

 

コメント (2)
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