( 義士祭 )
義士祭や北向地蔵にも回向 森田 峠
大義よく人死なしむる義士祭 岡本 眸
曇天の花重たしや義士祭 石川桂郎
遺品みな夜討装束義士祭 木田素子
元禄十五年(1702)十二月十四日深夜(現在の言い方だと十五日早朝)、大石蔵助 を頭とする元赤穂浅野家家臣四十七名が吉良上野介の屋敷に討ち入り、 吉良家の家臣と戦闘の末、上野介の首級を挙げた。
前にも書いたことがあるが、この吉良邸はJR両国駅から歩10程度の所に在る
ころころの子供の頃の遊び場の範疇ですが、吉良邸跡といっても当時の井戸を残す30坪程度、とても子供達が遊ぶには狭すぎた。