自句分析

2006-05-12 19:39:46 | Weblog
      のいばら(赤塚植物園)

 初学のころは師匠が沖だったために主観詠、人事句や二句一章が多かった。
 俳句に出会ってから3年目くらいに、飯田龍太の俳句に出会い、大景を詠みたいと
 思うようになった。そのころから一句一章の客観句に興味を覚える。
 ここ一ヶ月の投句内容、結果をみると圧倒的に一句一章の句に高点を頂くことが
 多くなった。


     芹の水笊にたばしるうすみどり
     春泥を蹴って厩舎のあさぼらけ
     東屋の四方に風ある余寒かな
     梅東風へ御目ふせたる地蔵尊
     春きゃべつきゅるりと水を鳴かせをり
     種浸す桶に日輪溢れけり
     
     花冷や露座大仏の前かがみ
     いかなごや醤油の匂ふ町工場
     羅漢寺の五百の黙や百千鳥
     
   上段の一句一章、下段の二句一章ともに多くの支持を頂いた句だが
   この割合を見ても、投句控えを見ても、一句一章句が多い。
   二句一章  五/十二  十二/五  
   五はほとんど季語に使われる事が多く、またそこに使ってこそ季節の詩に
   なる。時折 中七に季語が使われる場合が有るがやはり季感が薄く感じる。
   と言うか、まだ旨く使いこなせない。

    女身仏に春剥落のつづきけり    細見綾子
    海に出て木枯帰るところなし    山口誓子

 この十二という音節はフランス詩のアレクサンドランと言うのにも有る。
   十二音は人間の呼吸に無理の無い長さだという。
   それにしても「春剥落」は少々無理が有るも「は・は」と続く音韻に女身仏
   に効果的に響いていると感じます。

    くろがねの秋の風鈴なりにけり  飯田蛇笏
    春の鳶寄りわかれては高みつつ  飯田龍太

   一句一章は「けり」で決まった時が気持ちがいい
   
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