( 蕗の董・蕗の芽・蕗の花・春の蕗 )
蕗の薹見つけし今日はこれでよし 細見 綾子
蕗の薹のせてピアノの蓋くもる 林 徹
ほとばしる水のほとりの蕗の薹 野村泊月
雪の上に膝ついて得し蕗のたう 稲垣陶石
春の蕗母金色に煮てくれぬ 脇祥一
白山は谺かへさず蕗のたう 奥坂まや
水中に花開きゐる蕗の薹 茨木和生
伊吹嶺 HP http://www.ibukinet.jp/
蕗の董食べる空気を汚さずに 細見綾子
句集「雉子」にある一句を鷲谷七菜子氏の鑑賞があります
いかにも作者らしい句である。東京に居を移し、武蔵野に住んで五年、庭に蕗の董を見つけ
これを焼いて食べた時の句という。蕗の董を食べることで却って自分自身もあたりも清まる感じが
したのだ。同時に空気を汚し続けて生きている実感というのは、特異なまでに繊細で、するどい
感覚である。万物生成のさきがけのように、早春一早く土を割って出る蕗の董を食べるとき、
身のまわりにただよう透明感のようなものを感じてのことだろうが、それを「空気を汚さずに」という
作者自身の実感をそのまま言葉にした点に、この句の新鮮さがある。
蕗の薹見つけし今日はこれでよし 細見 綾子
蕗の薹のせてピアノの蓋くもる 林 徹
ほとばしる水のほとりの蕗の薹 野村泊月
雪の上に膝ついて得し蕗のたう 稲垣陶石
春の蕗母金色に煮てくれぬ 脇祥一
白山は谺かへさず蕗のたう 奥坂まや
水中に花開きゐる蕗の薹 茨木和生
伊吹嶺 HP http://www.ibukinet.jp/
蕗の董食べる空気を汚さずに 細見綾子
句集「雉子」にある一句を鷲谷七菜子氏の鑑賞があります
いかにも作者らしい句である。東京に居を移し、武蔵野に住んで五年、庭に蕗の董を見つけ
これを焼いて食べた時の句という。蕗の董を食べることで却って自分自身もあたりも清まる感じが
したのだ。同時に空気を汚し続けて生きている実感というのは、特異なまでに繊細で、するどい
感覚である。万物生成のさきがけのように、早春一早く土を割って出る蕗の董を食べるとき、
身のまわりにただよう透明感のようなものを感じてのことだろうが、それを「空気を汚さずに」という
作者自身の実感をそのまま言葉にした点に、この句の新鮮さがある。
蕗の薹見つけし今日はこれでよし 細見 綾子
きっぱりと言い切った「今日はこれでよし」の春を見つけた嬉しさが滲み出ているフレーズがとても好きです。
大好きな俳人です
葉桜の下帰り来て魚に塩
寒卵置きし所に所得る
このような素直な感性を素直に表現する。
出来そうでできない事ですね
ご無沙汰いたしております。蕗の董を見ると、時の流れは連続した流れでなく、四季のめぐりのある循環したものであることを痛感いたします。そして人間の営みは永遠の時の流れの中の小さい繰り返しなのですね。22882
確かに、何年も植物園を自分の庭のように観察して
いると,毎年どこかが少し違うとを感じます
一日は24時間、アナログ時計は2周でそれを簡易
にあらわしているだけでしょうね
四季を周期と捉えるより道程という平面で見るのも
面白いかもしれません