8月21日

2006-08-21 06:13:59 | Weblog


       泪眼をほそめて花の梟かな   飯田蛇笏

蛇笏といえば くろがねの秋の風鈴鳴りにけり が知られて
いるが私は掲句が一番いいと思っている。フクロウは冬の
季語になるが花の梟として季語が及ばないように表現して
いる。蛇笏の住んでいた長野県境川小黒坂は山麓の村で
梟は裏山の森には一年中姿や鳴き声を発していたはず。
この句のなまめくような叙情美は桜の季節でなければ
生まれてこない。吹き渡る風に些かの潤いと温かさが
「泪眼」という措辞を活かしているのだろうと思う。勿論
昼の梟なのだろう。
句作に行き詰まりを感じた時、この句を思い出すことにして
いる。 
芥川龍之介が亡くなったときに
       たましひのたとへば秋の螢かな
と詠んだ。掲句三句の共通点は「旬」をはずしていること。
春から見た冬、秋から見た夏、晩夏からみた初秋
大いに句作心への刺激となる。


 

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8月20日

2006-08-20 06:02:07 | Weblog


       優曇華や誰に甘えて長電話  ころころ

   (昭和57年 8月15日 東京新聞俳壇 飯田龍太選)

「他選、自選」について
他選の結果によって一喜一憂する時期は過ぎたと思っている
(俳句はある意味独り善がりの文学であるから・・・)
勿論。選ばれれば嬉しいがそれは商品(作品)が誉められれて
いる訳で工場(作家)が誉められている訳ではない。
その辺を勘違いすると本当の独り善がりとなる。
では自選の力があるかないか?
それは自信をもって商品(作品)を世に送り出せるか?
という事にもなるだろう。
自信をもって陳列された商品(作品)は必ず一人歩きをする。
結社の句会などで主宰の句が無点に終わることが有るが
その時にでもそれは主宰の自信作にほかならない。

自選の力をつける為には、やはり目的をもって勉強し、投句し
素直な反省の心が必要になる。
初学の結社を辞めた時、今ほど強い意志が有った訳では無いが
結社に入らず「誌友」の一般から巻頭をとろうと恐れ多い希望
をもった。(純粋な心を持った時期がころころにも有りました)

結社「秋」では巻頭の見開きページまでいったが
巻頭はとれない。

そこから色々お誘いが有ったが、数ヵ月後にやめた。
結社「雲母」ではそうはいかなかった。
毎月1点句が一年続いた。それならばと主宰飯田龍太に
名前を覚えさせるという、またまた恐れ多い希望を持って
飯田龍太が選者になっている、文芸誌、月刊誌、新聞、週刊誌
全てに投句するという追っかけストーカーに出た。
これも約2年で25句、内特選3句で目的は途切れた。
昨年は現代俳句協会のIT句会に年間1位を目標に参加した。
年間6位という結果に終わる。毎月1000句近い作品の中に
飛び込んだ。目標は達せられなかったが大いに収穫は有った。

自選句の力=詠句の力 は確かである。
自句を客観的に見られればそれは達せられる。
そこが一番難しい・・・・
大いに落選し、批評され悔しい思いをしなければ
何事も進歩は無かったと思う。



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8月19日

2006-08-19 06:22:22 | Weblog


   火の番も霧の中なる登り窯   ころころ

忙しさに感けて最近何も書いていない。少し反省しつつ
今日は久々にノンビリとして思いつくままに書いてみる。

連衆について、一緒に句会に参加している人と言ってしまえば
それまでで本来連歌から出発した俳句。一句一句に対する
取捨、品評、添削、選句のうちに批評が有り、同好者、友人
師弟という温かい関係の中に互いにより優れた作品を求め
あい、作者の俳句における心の底まで分かり合った上での
親身な、あるいは痛烈な批評がかわされる。
時には辛らつな発言となってしまうこともあるが、多くは
和気藹々たる談笑に終わる。わが句会の良さは一般的な
句会と違い、一句の評価だけを求めるものでない、その
流れの中のお互いの勉強会で、つまり連歌の席のように
全体として一巻の中の一句一句を高めようとする会だと
思っている。落選も選であり、なぜなのか理由を知れば
反省があり推敲の力がつくような気がする。
私だけの考えかもしれないが、一句会が一巻と考える。


 

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8月18日

2006-08-18 18:25:18 | Weblog


      莫大小工場ばかりの町の星祭り  ころころ

  (昭和57年8月8日 東京新聞俳壇 飯田龍太選)

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8月17日

2006-08-17 19:31:07 | Weblog

      蜩や山も裾野も秋田杉   ころころ
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8月16日

2006-08-16 12:34:24 | Weblog

     百合(六義園 )

     この世から声をかけられ昼寝覚め  ころころ 

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8月15日 終戦記念日

2006-08-15 09:04:09 | Weblog


      寡黙に父暗黙に母終戦日   ころころ

         

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8月14日

2006-08-14 12:38:58 | Weblog
 
       泡盛の酔ひに顔だす島言葉  ころころ
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8月13日 盆の入り

2006-08-13 07:52:32 | Weblog

         蟻の道一人遊びの子に曲がる  ころころ
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盆休み

2006-08-12 08:49:48 | Weblog


       天瓜粉いくたび母を裏返す 増本加津子

      盆休みは親孝行ができそうだ。

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