優曇華や誰に甘えて長電話 ころころ
(昭和57年 8月15日 東京新聞俳壇 飯田龍太選)
「他選、自選」について
他選の結果によって一喜一憂する時期は過ぎたと思っている
(俳句はある意味独り善がりの文学であるから・・・)
勿論。選ばれれば嬉しいがそれは商品(作品)が誉められれて
いる訳で工場(作家)が誉められている訳ではない。
その辺を勘違いすると本当の独り善がりとなる。
では自選の力があるかないか?
それは自信をもって商品(作品)を世に送り出せるか?
という事にもなるだろう。
自信をもって陳列された商品(作品)は必ず一人歩きをする。
結社の句会などで主宰の句が無点に終わることが有るが
その時にでもそれは主宰の自信作にほかならない。
自選の力をつける為には、やはり目的をもって勉強し、投句し
素直な反省の心が必要になる。
初学の結社を辞めた時、今ほど強い意志が有った訳では無いが
結社に入らず「誌友」の一般から巻頭をとろうと恐れ多い希望
をもった。(純粋な心を持った時期がころころにも有りました)
結社「秋」では巻頭の見開きページまでいったが
巻頭はとれない。
そこから色々お誘いが有ったが、数ヵ月後にやめた。
結社「雲母」ではそうはいかなかった。
毎月1点句が一年続いた。それならばと主宰飯田龍太に
名前を覚えさせるという、またまた恐れ多い希望を持って
飯田龍太が選者になっている、文芸誌、月刊誌、新聞、週刊誌
全てに投句するという追っかけストーカーに出た。
これも約2年で25句、内特選3句で目的は途切れた。
昨年は現代俳句協会のIT句会に年間1位を目標に参加した。
年間6位という結果に終わる。毎月1000句近い作品の中に
飛び込んだ。目標は達せられなかったが大いに収穫は有った。
自選句の力=詠句の力 は確かである。
自句を客観的に見られればそれは達せられる。
そこが一番難しい・・・・
大いに落選し、批評され悔しい思いをしなければ
何事も進歩は無かったと思う。