踊る小児科医のblog

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新・八戸市民の歌は『新しい風』という曲名なのだが

2005年10月15日 | ART / CULTURE
第九の話の続きですが、当日「新・八戸市民の歌」も一緒に歌うことになったようです。第九だけで手一杯なのでそれ以上のことはしたくない(というかできない)のですが、合併記念演奏会という建前上、この機会に歌うのもやむを得ないかと。。

「新・八戸市民の歌」といってもそんなに新しいわけではなく、2002年の新幹線開業を3年も遡る1999年に、市制施行70周年を記念して新たにつくられたということで、市民合唱祭などで何度か聞いたり口ずさんだことはあります。しかし、歌詞が難しくはないのですがちょっと覚えにくいんだな、これが。

ところで、この「新・八戸市民の歌」には『新しい風』という曲名があったはずですが(今でもあるはず)、配布された楽譜には『新しい風』というタイトルはなく「新・八戸市民の歌」とだけ書かれていて、家族もその曲名を忘れている(か最初から知らない)ようです。

さらに、八戸市のHPのどこをひっくりかえしても、この曲のことも楽譜も音楽ファイルも掲載されていません。私たちは、当時一市民が頑張って情報発信していた八戸にまつわるエトセトラ(2001年5月)に歌詞だけでなく楽譜やMP3ファイルまで掲載されていることにより、今でもこの曲の存在や歌詞や歌声をネット上で確かめることができるのです。iarum氏に感謝。(このCDは当時450枚つくられて配布されたとのこと)

同じ頃につくられた青森県民の歌「青い森のメッセージ」は青森県のページに掲載されていて、楽譜のPDFやMP3ファイルも(フルコーラスではありませんが)ダウンロードすることができます。

ちなみに、元の曲は変ホ長調(bが3つついてEbがドになる-出だしはBb)なのですが、四部合唱用に、作曲者最上氏自身によってヘ長調(bが1つでFがドになる-出だしはC)に編曲されています。一音半上がっているわけですね。

更に余談ですが、今回ネットで検索してみたところ、Googleのキャッシュに残されていた「破綻した合併協議会」の記録の中に、この「新しい風」は合併後の新市全体をイメージする歌詞でないので、更に新たに制定するかどうか「検討する」という一文がありました。あのねあんた、そんなにホイホイと「新しい市民の歌」を作っては捨てるわけにはいかないことぐらいわからんのかね。。

ところで、「新・八戸市民の歌」があるからには「旧・八戸市民の歌」があったはずなのですが、誰も知らないみたい。相当古いものなのかもしれません。そして、こうやって書いて読む分には「・」(中丸)の存在によって問題は生じないのですが、「旧八戸市民の歌」とか「古い八戸市民の歌」、さらには「昔の八戸市民の歌」などと続けて言うと誤解を生じかねませんのでご注意を。。

と、ここまで書いて驚くべき事実が判明。青森県音楽資料保存協会という不思議な団体のHPの「事務局日記2004年1月前半分」に、「八戸市民の歌(法師浜桜白・作詞 古賀政男・作曲)」との記載が。。

むむむっ、作曲、こっ古賀政男。。しかも、作詞の法師浜桜白といえば、あの八戸小唄の作詞者じゃないですか。この2人は同時代人なのだろうか、何か繋がりがあったのか。そんなに簡単に「八戸市民の歌」を捨て去ってしまってよかったのだろうか。新たな疑問がわいてきます。そして、いったい「八戸市民の歌」はどんな歌だったのだろうか??

謎は深まるばかり。

新・八戸市民の歌「新しい風」  作詞/左舘秀之助 作曲/最上哲三

一、
うみねこ舞うよ ふるさとの
港はちのへ 北のまち
世界の波が よせてくる
あげよ 南部の心意気
進むわれらに ゆめがある

二、
はまなす匂う ふるさとの
渚はちのへ 北の国
潮騒きよく 流れくる
まもれ 南部のこの恵み
進むわれらに 道がある

三、
歴史が薫る ふるさとの
北のまほろば 菊の里
新しい風が ふいてくる
おこせ 南部の底ぢから
進むわれらに 明日がある

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