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河原木蝦夷館と東北本線「尻内駅」

2017年04月14日 | 地域・社会
1)南部山運動公園の地名は「河原木蝦夷館」。地名の由来も、実際にここに遺跡があるのかどうかも知りませんが、蝦夷の頭領の館として最適地といえるでしょう。
 山続きで地図の左下にある「林ノ前」にも平安時代の防御集落が発掘されています。(防御というのは中央勢力が蝦夷から防御するのではなく、その逆)
 馬淵川をはさんで地図右下(南東)には根城、(地図では切れてますが)左下(南西)に櫛引八幡宮。鎌倉・室町時代の中央勢力(南部氏)の拠点。



2)八戸駅(旧尻内駅)がここにあるのは、明治時代の八戸市民が、疫病を恐れて市街から遠くに設置したという説があり、「先見の明がなかった」ということになっていますが、実際には市街地(本八戸駅)の方に引っ張ってくることは物理的に不可能だったのではないか。
 急カーブで馬淵川を2回渡らなければいけないので、鉄橋の設置費用もかかるし、海に近い鉄橋は敵国に狙われる可能性があり、防衛上不都合だったはず。
 それでも尻内は遠すぎると思うけど、できたとしても八食センター付近だとしたら、今となってはほとんど変わりない。
 おそらく、その辺りは低湿地で洪水の常襲地帯だったと思われる。尻内駅の選択は必然だったのだろう。

3)蝦夷の時代に戻る。根城・櫛引の中央勢力(南部氏)と、林ノ前・河原木の蝦夷勢力が、馬淵川と低湿地帯を挟んで最前線で向かい合っていた時代があったのかもしれない。
 そう考えると、小田八幡宮は中央勢力の進出拠点(出城)だったのかも、などと妄想は膨らみ続ける。。

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