熊本熊的日常

日常生活についての雑記

入社の頃

2009年10月03日 | Weblog
私が以前勤めていた会社に今年の春に中途で入社した人と昼食を共にした。丸善でハヤシライスを食べ、食べ終わってからはひたすら水を飲み続けながら2時間半ほど話し込んだ。年齢差もあり、私が話し彼が聞くという状況が長かったのだが、彼の話で衝撃を受けたことがあった。

入社して間もない頃に受けた集合研修の帰り、参加者一同で阿修羅展を観にでかけたというのである。私が入社した時の集合研修の帰りに皆で立ち寄った先は、渋谷の場外馬券売り場だった。ちょうど入社して最初の給料が支給された直後で、なかには給料全額を使ってしまった奴もいた。なんだかとんでもない会社に入ってしまったものだと思ったものだが、その同じ会社がこうも変わるものかと妙に感心した。

結局、私はその会社に13年半勤めたが、振り返ってみれば、殆ど仕事らしい仕事をした印象がない。入社して最初の1年は法人営業で先輩社員の使い走りのようなことをしていた。2年目は債券のセールス・トレーダーだったが、客と自社の勘定をつなぐ御用聞きに毛の生えた程度のものだった。3年目は社内の留学制度に応募して、何かの間違いで選考され、4年目から5年目にかけてイギリスで遊学していた。この遊学中は、世の中のほうは激動していた。日本ではバブルの頂点で、中国では天安門事件があり、ドイツでは東西統一が実現した。ほかにもいろいろあったが、一言でまとめれば、世界の枠組みがガラガラと変わったのである。おそらく、この時期に仕事の最前線にいれば、いろいろ目の覚めるような経験を積んだことだろう。しかし、世の中の激動の一方で、私の生活は微動だにしない平和なものだった。

帰国後は営業店向けに営業資料を作ったり、社内の役員会用の資料をまとめたりする部署に配属された。そのなかに金利・為替動向に関する週報と月報があり、関係部署にヒアリングをしながら原稿作成から印刷会社との打ち合わせまで、ほぼ一手に担当していた。先月、外国為替証拠金取引というものを始めてみて、自分がいかに外国為替のことを知らなかったかということを知ったのだが、そういう人間が不特定多数の顧客へ配布する印刷物に外国為替相場を解説する文章を書いていたのだから恐れ入る。しかも、そんな犯罪行為のようなことを4年も続けていたのである。その後も、似たようないい加減なことを重ね、今日に至ってしまった。サラリーマンというのは気楽なものだ。あるいは、こんな私のようなものがあちらこちらで禄を食んでいるから、日本経済はずるずると凋落を続けているのかもしれない。

きっと入社時研修後の気晴らしに国立博物館へ出かけるような人たちは、たとえ局所的でも、明るい未来を築くのかもしれない。