熊本熊的日常

日常生活についての雑記

やはり通俗なのか

2009年10月05日 | Weblog
子供に「潮騒」のことを書いて送ったら、「フィクションなんだから」と返されてしまった。子供に書いた内容はこのブログの9月30日付のものとほぼ同じである。今回も本人の承諾は得ていないが、そのメールを引用する。

***以下引用***
潮騒の登場人物に違和感というのは私も授業でやっていてそう思いました。確かに皆いい人すぎますよね。主人公に味方する人達がいた、というところまでは主人公の人柄を見ていて納得出来ます。しかしその主人公に関して言わせてもらえばあそこまで善良な人が居るものだろうかと思ってしまいます。さらに初江が主人公が落としてしまった給料を届ける場面も、普通わざわざ拾ったお金を届けるだろうかと思います。なにより違和感を覚えたのは二人の恋路を邪魔しようとした安夫と千代子?も中途半端だと思うのです。普通恋愛ものでは二人の邪魔をしようとする人はすごくうっとおしいと感じますが潮騒の妨害組はどこか憎めないところがあるように感じます。しかしそれぐらいの事はフィクションでは良くあると思います。でもさすがに島全体があそこまでいい人ぞろいだと不気味です。
***以上引用***

「普通わざわざ拾ったお金を届けるだろうかと思います」というあたりは、親としては「こらこら、そういうことは、いかん」と言わなければならないのかもしれない。しかし、私は子供と同じ年齢の頃に、従兄弟とふたりで明治村に遊びに行ったとき、そこで拾った財布を持ち帰って中身をふたりで分けてしまった。自分のことを棚にあげて「いかん」とは言えないので「いただくのは現金だけにしておきなさい」と言うのが適切な助言というものではないかと思う。

恋路の邪魔が中途半端、というのは、私がブログに書いた、「潮騒」には男女がいない、という部分に呼応しているように思われる。子供なりに既にいくつかの恋愛を経験してそのような感想を持ったのか、テレビドラマや漫画などでの擬似経験を基にそのように思ったのか、あるいは誰でもそう思うものなのか。やはり、この作品は単に通俗的であるというに過ぎないのかもしれない。

このメールに何事かを返すつもりなのだが、どのように書いたらよいものか思案を強いられている。