夢というのは不思議なもので、普段の生活からはどう考えても結びつかないようなことが展開する。そして、眠りから覚めた直後には憶えていても、あっという間に忘却してしまう。悪い夢なら忘れてしまったほうがよいが、愉快で忘れてしまうのが惜しいような夢もある。昨夜の夢は面白かったので、起きてからすぐにメモを取っておいた。
場所は誰かの家の居間である。3人か4人くらいで楽しく談笑している。残念ながら、誰と一緒なのかは憶えていないのだが、皆同性であるような印象がある。そこで私がレンゾ・ピアノについて熱く語っているのである。普段は夢を見ても、それを書き留めておこうなどとは考えないのだが、自分が口にしていた「レンゾ・ピアノ」という言葉の強い印象とその夢の楽しい雰囲気が、その夢を書き残しておこうと思わせたのだろう。
不思議なのは、私は「レンゾ・ピアノ」が何なのか知らない。勿論、夢の中では、知っていることになっているから語っているのだが、覚醒した状態では何も知らない。起床してすぐにパソコンを立ち上げてネットで検索してみると、それは著名な建築家だった。「知らない」のではなく、「憶えていない」ということだ。
去年の夏にパリへ遊びに行ったとき、ポンピドーセンターを訪れた。そのことを毎週の子供へのメールに書くときに、その建物のことを調べたことがある。レゾン・ピアノは、その設計者のひとりなのである。おそらく、そのときに氏の名前が記憶のどこかに残ったのだろう。ポンピドーセンターのことは、このブログにも2008年8月24日付「破顔一笑強行突破」のなかで触れており、このところ更新していないもうひとつのブログにも書いた。
http://web.mac.com/nmatch/iWeb/Site1/Blog/1786F8F8-76BB-11DD-9CE8-00112471E3E4.html
ちなみに、日本にも氏の手がけた建築物があり、多くの人が日常のなかで目にしているはずである。例えば、銀座のエルメスビル、関西空港旅客ターミナルビル、熊本県天草市のハイヤ大橋である。既に撤去されたが、大阪万博のイタリア工業館も氏の作品だそうだ。
熊本熊という名前は勿論このブログのための筆名だが、熊本には出張で何回か訪れたことがある以外に縁もゆかりも無い。だからハイヤ大橋というものがどのような橋なのか知らないのだが、夢に出てきた「レンゾ・ピアノ」の縁で、私とこの橋とがつながり、そこから新しいことが生まれたとしたら、それも愉快なことだと思う。
場所は誰かの家の居間である。3人か4人くらいで楽しく談笑している。残念ながら、誰と一緒なのかは憶えていないのだが、皆同性であるような印象がある。そこで私がレンゾ・ピアノについて熱く語っているのである。普段は夢を見ても、それを書き留めておこうなどとは考えないのだが、自分が口にしていた「レンゾ・ピアノ」という言葉の強い印象とその夢の楽しい雰囲気が、その夢を書き残しておこうと思わせたのだろう。
不思議なのは、私は「レンゾ・ピアノ」が何なのか知らない。勿論、夢の中では、知っていることになっているから語っているのだが、覚醒した状態では何も知らない。起床してすぐにパソコンを立ち上げてネットで検索してみると、それは著名な建築家だった。「知らない」のではなく、「憶えていない」ということだ。
去年の夏にパリへ遊びに行ったとき、ポンピドーセンターを訪れた。そのことを毎週の子供へのメールに書くときに、その建物のことを調べたことがある。レゾン・ピアノは、その設計者のひとりなのである。おそらく、そのときに氏の名前が記憶のどこかに残ったのだろう。ポンピドーセンターのことは、このブログにも2008年8月24日付「破顔一笑強行突破」のなかで触れており、このところ更新していないもうひとつのブログにも書いた。
http://web.mac.com/nmatch/iWeb/Site1/Blog/1786F8F8-76BB-11DD-9CE8-00112471E3E4.html
ちなみに、日本にも氏の手がけた建築物があり、多くの人が日常のなかで目にしているはずである。例えば、銀座のエルメスビル、関西空港旅客ターミナルビル、熊本県天草市のハイヤ大橋である。既に撤去されたが、大阪万博のイタリア工業館も氏の作品だそうだ。
熊本熊という名前は勿論このブログのための筆名だが、熊本には出張で何回か訪れたことがある以外に縁もゆかりも無い。だからハイヤ大橋というものがどのような橋なのか知らないのだが、夢に出てきた「レンゾ・ピアノ」の縁で、私とこの橋とがつながり、そこから新しいことが生まれたとしたら、それも愉快なことだと思う。