「今の時期」というのは冬の寒い時期という意味だと思うが、不景気で世知辛い時代という意味も兼ねているように感じた。噺のほうは有名なので、ここで改めて紹介しないが、江戸という場所の特殊性を理解しないと、噺の世界に入り込めないように思う。江戸というより、都市の特殊性と言ったほうが適切かもしれない。
人が生きる上で何よりも必要なのは食である。人類の歴史を遡れば、農耕や狩猟によって生計を立てるというのが基本であった時代が圧倒的に長い。都市が成り立つためには、都市で生活する人々を賄うに足る余剰生産物が無ければならない。
生産能力というのは、要するに知恵と知能だ。農作物や狩猟の対象物の生命史を理解し、それらを取り巻く環境を理解し、生産者であり消費者でもある自分自身の生命と環境についても理解がないと収穫を得ることはできない。余剰生産物も継続して獲得することで、それらの存在が社会のなかに定着し、流通や保管にまつわる技術や仕事が発生する。あくまで私の印象でしかないのだが、この余剰生産物の流通と保管に深く関与する人のなかから権力が生まれているように思う。自らが生産活動に関与していないことの不安が、余剰生産物を獲得し管理することへの執着を生むのではないだろうか。それが権力につながるのではないだろうか。
幕府が置かれて以降の江戸は政治都市だ。今とは違って市街は限定されていたので、農耕地の割合はそれなりの規模であっただろう。それにしても、武士や町人といった生産活動に従事しない人々の生活が国内のどの都市よりも広く厚く展開してはずだ。果たして彼らの日常生活を支える感覚はどのようなものであったのだろうか。
よく「江戸っ子」は「宵越しの金は持たない」などと言われる。江戸時代中期以降はたびたび倹約令が出されていることから推察されるように、幕府財政は危機に瀕していたことだろう。その治世下の民衆も、特に生産活動から縁遠い人々ほど経済的に困窮していたのではないだろうか。それでも町人文化が栄えたのは、封建制の厳しい身分制のなかで、分というものがわきまえられていて、無ければ無いなりの生活を当然のことと受け容れる土壌があったのではないだろうか。「宵越しの金を持たない」のではなく「持てない」のが多数派だったという現実があったのではないか。だから逆に富への執着は薄く、義理人情とも呼べるような互助的な仕組みが機能していたのではないだろうか。
「文七元結」のなかで主人公の長兵衛は娘のお久をかたに遊郭の主人から借りた50両を、集金した50両を失くして身投げしようとしていた大店「近卯屋」の手代の文七にくれてしまう。このくだりが話として聴衆に素直に受け容れられるか否かは、江戸町人の金銭感覚への共感の強弱に拠るだろう。そして、この部分への理解が噺全体への理解の要になるのではないだろうか。
「文七元結」が成立したのは明治に入ってからのことだ。作者は圓朝で、明治に入って東京で幅を利かせていた薩長などの田舎者への反発心から本作を作ったとも言われている。いかに「江戸っ子」でも、さすがに娘をかたに作った金を見ず知らずの人に渡してしまうということは現実には無かっただろうが、「宵越しの金を持たない」でいても生活を送ってきた江戸町人の義理人情あるいは善意というものへの誇りが描かれているように見える。
今、この噺を聴く我々は、その情や誇りに素直に共感できるだろうか。グローバルだのなんだのと、目先の利を追うことに汲々としている時代に、「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」という潔さで自分の眼を信じ、その眼にかなった人を信じる姿勢を示すことのできる人がどれほどいるのだろうか。
本日の演目
「牛ほめ」柳亭市也
「雑俳」橘家文左衛門
「抜け雀」柳家喬太郎
(中入り)
「反対車」柳家喬太郎
「文七元結」橘家文左衛門
会場:EBIS303
開演:18時頃
閉演:21時頃