今日から11月、2024年も残り2ケ月となり、温暖化の中でもようやく秋めいてきました。
各地から紅葉の便りも届き、旅行に行きたい気分が高まっています。
遅くなりましたが、10月中旬に3機同時完成したエレール1/72のコードロン・シムーンの完成写真です。
3機のうち2機は新作ですが1機は2009年に作った完成品を今回塗り直した物です。
2機は製作期間18日、正味製作日数は7日間くらいです。
3機共通はピトー管と排気管を真鍮パイプに交換した事と各部のインテークを開口した事です。
新作2機にはジャンクパーツからフィギュアをスカウトして乗せ、客席を撤去して増装タンクをデッチアップしています。
その他は素組みです。
古いキットですが、翼の後縁など非常にシャープですし、モールドも綺麗です。
唯一の欠点は操縦席キャノピーと胴体の合わせが悪く、結構大きな段差ができてしまうことで、これの解消には結構手間が掛かります。
2008年にレベル1/48のスピリット・オブ・セントルイス号を作ったのがきっかけで始ったマイテーマ「昭和の冒険飛行家」の一環で、5~7機目になります。
では冒険飛行を行った年代順にご紹介します。
先ずは「星の王子様」でお馴染みのサン・テグジュペリです。
1935年(昭和10年)12月(35歳の時)、巨額の賞金を狙って機関士プレヴォと共にパリ~サイゴン間飛行時間の記録更新に挑戦しましたが、リビア砂漠に不時着し、数日間彷徨った末に遊牧民に救われて奇蹟的に生還を果たした時の機体です。
この体験が『星の王子さま』の基となったそうです。
尚、不時着の原因は諸説有り、定かではありません。
コードレターの「Y」はデカールが無かったので手書きです。
2番目はアンドレ・ジャピー機です。
1936年(昭和11年)11月にフランス航空省が航空機振興と長距離飛行路線の開拓を目的として行ったパリ~東京間100時間以内の懸賞競技に参加した時の機体です。
パリ~香港までは順調に飛行し、記録達成が有力視されましたが、香港を出発して東京を目指す途中で嵐に巻き込まれ、 佐賀県の脊振山に墜落しました。
左大腿骨骨折などの重傷を負いましたが、脊振村の村人たちに救助され、福岡九州帝国大学病院に搬送されて治療を受けて、無事に帰国しました。
この時の墜落機の方向舵だけが無傷で残り、日本航空協会が航空会館に展示しているそうです。
翌1937年4月に東京~ロンドン間94時間飛行を成功させた飯沼正明と塚越賢爾がフランスのジャビーの自宅を訪ねた際には、入院中の高度医療に感謝し、日欧横断に再挑戦したいと語ったが第二次大戦により実現しませんでした。
飯沼らの神風号の東京~ロンドン飛行についても、ジャビーが南ルートの飛行計画を支援しました。
コードレターの「XA」はデカールが無かったので胴体部分は手書き、主翼部分はジャンクデカールの流用です。
ジャピーは機関士無しの単独飛行だったので、フィギュアは1人しか乗せていません。
3機目はマルセル・ドレ機です。
1937年(昭和12年)5月にアンドレ・ジャピーと同じくパリ~東京間100時間以内の懸賞競技に挑戦し、ジャピー同様に上海までは順調でしたが、東京に向う途中、悪天候と燃料切れにより高知県高知市春野町の海岸に不時着して失敗しました。
機関士のフランソワ・ミケレッティと共に重傷を負うも、不時着現場の住民に救護され、2人共に回復し帰国しました。
春野町戸原海岸にはマルセル・ドレ機不時着の碑が建てられています。
フィギュアは2人乗せています。
最後に3機の集合写真です。