神風号、飯沼飛行士と塚越機関士のフィギュア(のつもり)も含めて完成しました。
【神風号について】出展:九七式司令部偵察機 - Wikipedia
1937年(昭和12年)5月12日にロンドンで行われるジョージ6世の戴冠式奉祝の名の元、朝日新聞社が亜欧連絡飛行として計画し、成功させた時の機体です。
1936年に初飛行した三菱の九七式司令部偵察機(キ-15)の試作2号機を朝日新聞社が陸軍から払い下げられた物で、空冷星型9気筒のハ8エンジンを積み、出力750hpという非力ながら最高時速480km/hという高性能機でした。
操縦席と機関士席の間に燃料タンクを増設しています。
乗員には飯沼正明操縦士と塚越賢爾機関士が選ばれ、機体愛称は公募50万通超の中から東久邇宮稔彦王によって「神風」が選ばれ、機体塗装のデザインは画家の山路真護が担当しました。
【亜欧連絡飛行】出展:九七式司令部偵察機 - Wikipedia
当時、日本とヨーロッパを結ぶ定期航空路はなく、航路開発を目的としてフランス航空省が行ったパリ~東京間100時間の懸賞飛行に挑戦したフランス人飛行家のアンドレ・ジャピーも失敗を繰り返していました。
また、東京からロンドンへの飛行は逆風であるため、更に困難が予想されました。
1937年(昭和12年)4月6日未明の2時12分4秒に立川飛行場を離陸、台北、ハノイ、ビエンチャン、カルカッタ、カラチ、バスラ、バグダッド、アテネ、ローマ、パリと着陸し、現地時間の4月9日午後、無事ロンドンに着陸しました。
立川離陸後、距離15,357kmを平均速度300km/h、計94時間17分56秒で飛行し、給油・仮眠をのぞく実飛行時間は、51時間19分23秒でした。
飯沼操縦士と塚越機関士はフランス政府からレジオンドヌール勲章を受勲しました。
<飯沼飛行士記念館>
長野県安曇野市に飯沼飛行士の生家を改築して作られた記念館があります。
飯沼飛行士記念館 | 施設紹介
私は昨年4月に安曇野方面を旅行した際にここへ立寄り、記念館を運営管理されている飯沼飛行士の実兄のお孫さんにあたられる方から1時間余り付きっきりで館内の案内とご説明をして頂きました。
マスク越しではありましたが飯沼飛行士とよく似た感じの方でした。
安曇野~長野一泊旅行 二日目 - 自己満足日記
【キット製作】
ファインモールド1/48で、最高レベルのパーツ精度と48として申し分のないディテールを満たした名キットです。
組み立てだけなら調整もパテの出番もなく2日程で済んでしまうと思います。
機体の組み立ては完全素組みです。
組み立てで余計な労力を使わなくて済む分、塗装に注力できる訳ですが、青と銀の塗り分けと、無塗装銀の表現がポイントになります。
青はインストの指定通りMr.カラー328番のブルーFS15050をそのまま使いました。
無塗装銀部分はMr.カラーのメッキシルバーネクストを使用しました。
塗装の順番は以下の通りです。
全体のサフ吹き(Mr.カラー1500番グレーサフ)
↓
キャノピーフレーム部分の機内色塗装
↓
ブルー塗装(マスキング無しで大凡の範囲を塗装)
↓
ブルーを残す部分と羽布張りの動翼部分をマスキング
↓
銀塗装の下地としてグロスブラック(Mr.カラー2番)を全体に塗装
↓
動翼部分のマスキング剥がし
↓
メッキシルバーネクストを全体に塗装
↓
ブルー部分のマスキング剥がし
↓
デカール張り
↓
全体にエナメルクリアー吹き(タミヤエナメルクリア)→完全乾燥
↓
全体にラッカークリアー(Mr.カラースーパークリアⅢ)
↓
キャノピーマスキング剥がし
それでは完成写真です。
向って右が飯沼飛行士のつもり、左が塚越機関士のつもりですが、全然似ていません。😅
ホントにフィギュアの下手さ加減には情けなくなります。
参考にしたのはこの写真です。
機体単独です。
飯沼飛行士記念館のパンフレットとの2ショットです。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。