今日は、私の17年間のバイク歴についてのお話です。
私と同年代の多くの方が同じような経験をされていることと思いますが、16歳になって直ぐに「原付免許」をとりました。
当時の高校1年生の男子の標準ですね。
そして初めて乗ったバイクが「ヤマハミニトレGT50」という2ストのトレールタイプのバイクでした。
このバイクで通学やチョイ乗りだけでなく、六甲山を走り回って遊んでいました。(今で言うローリング族のハリシのようなもんです)
当時流行っていたダックスホンダなどと比べるとパワーがあって(確か7馬力)、乗り易いバイクでした。
同級生の中には直ぐに自動二輪にステップアップして250ccや当時憧れの的だったナナハン(ホンダCB750)に乗っている奴もほんの少数いましたが、私は親の反対もあって高校時代はずっと原付止まりでした。
但し、当時原付以外の大きなバイクに乗ったことがなかったか?と言うと ・・・ ご想像にお任せします。
大きな怪我をすることも無く、高校時代が終わり、父親の転勤もあって、上京して大学生生活を送ることになり、ミニトレも手放しました。
これも当時の大学生の標準ですが、18歳になって直ぐに普通免許を取り、親の車を借りて四輪車の運転をするようになったり、バンド活動を始めたり、今の家内と付き合い始めたり・・・ということで、暫くの間、バイクからは遠ざかります。
やがて大学を卒業し、父親の再度の転勤で両親は故郷へ戻ってしまいましたが、既に東京で就職していた私はそのまま東京で一人暮らしを始めました.
そうなると当然「車(四輪車)」なんか持てませんので、日常の足として、再度50ccの中古バイク[「RD50」を購入しました。(写真は私が乗っていたバイクそのものではなく、同型という意味です)
これが1年程でイカレてしまい、高校時代に実現できなかったちょっと大きなバイクの乗りたくなって、「中型自動二輪」の免許を取りました。
高校時代に自動二輪の免許を取っていれば青天井だったのに、この時期には既に「中型限定」という制度になっていました。
最初に買ったのは、当時流行っていたアメリカンバイクでした。
カワサキのZ400LTDというバーチカルツインのアメリカンで、これはなかなかいいバイクでした。
ソフトな乗り心地、リラックスしたライポジ、400ccながらバーチカルツインの鼓動を感じるSOHCの低速エンジンというコンビネーションで、ゆったりと乗れる良いバイクでした。(今なら凄く欲しいバイクです。)
このバイクで長距離のツーリングにも何度か行きました。
しかし、こういうバイクは20代の私にとっては飽きるのも早く、「ちょっと違うな・・・」という不満が直ぐに出てきました。
やっぱりバイクはピタっと跨って、ギャンギャン回して、走り回らないと面白くないってことです。
・・・ということで、次に乗ったのが中古のRD250改400。
つまりエンジンを400ccに載せ替えたRD250ってことです。
実はこれ、買った時には全く知らず、買って乗り始めてからなんか妙にトルクがあるのでおかしいな・・・と思ってよくよくエンジンを見て気が付いたという次第です。
2スト2気筒400ccは流石にもの凄いトルクとパワーでエキサイティングではありましたが、やはり車体とエンジンのバランスが悪く、操縦性も良くなくて、ジャジャ馬でした。
この頃、ちょうど映画「汚れた英雄」が大ヒットし、2輪のロードレース人気が高まり、2スト250のレーサーレプリカブームが始まりました。
国内では平と水谷が全日本の500ccで優勝争いをしている頃、世界GPではケニーとフレディが凌ぎを削っている頃です。
下の写真は筑波サーキットの全日本選手権のパドックで撮った、平忠彦のマシンです。
そんなブームもあって早速新車で買ったのが、スズキRG250ガンマでした。
日本初のアルミフレーム、フルカウルのレーサーレプリカです。
当時としては抜群のフレーム剛性で、レールに乗ったように前輪からグイグイ曲がっていくようなフロントステア感覚はもの凄く新鮮でした。
当然、ジャジャ馬RD250改400はガンマを買った直ぐ後に手放しました。
このバイクで随分と峠道を走りましたが、「安全に思いっきり走れる」所としてサーキットのスポーツ走行に興味を持ち、筑波サーキットと富士スピードウェイのライセンスを取り、何度かスポーツ走行に通いました。
この経験は非常に衝撃的で、純粋に走ることに集中でき、バイクの限界も知ることができると共に、自分の腕の無さも思い知ることになりました。
ところが、このバイクに2年程乗ったところで「盗難」に会ってしまい、あえなくお別れとなりました。(2~3年後に犯人が捕まり、ナンバープレートだけが戻ってきました)
その後、1年くらいは乗るバイクが無く、悶々とした日々を過ごしていましたが、やっぱり2スト250が好きで新車で購入したのがヤマハのTZR250です。
これは最高のバイクでした。(残念ながら写真が残っていないので、同型車の写真を載せます)
オーソドックスなリアステアで、抜群の操安性と、素晴らしいエンジンの組み合わせで、峠道をツーリングするのがほんとに楽しくなるバイクでした。
コーナーの真ん中でアクセルオンした時に、グっとトラクションが掛かってリアで滑らかに曲がっていく感じは素晴らしいものでした。 バイクの操安性とはこういうものだ!という感じです。
新しいバイクを手に入れてツーリングを楽しんだり、峠道を走ったりしてしていましたが、一度サーキットを体験してしまうと、やはり公道走行だけでは満足できません。
しかし、スポーツ走行ばかりしていても意味が無いし、かと言って本格的にレースができる資金も、腕も無ければ、そういう年齢(既に30歳近くになっていました)でもなくなっていましたので、またもや悶々としていたところに、行きつけのバイク屋さんの店主が「こういうのあるけど、一度観に行ってみるか?」と言って教えてくれたのが、50cc市販車のワンメークレースでした。
早速、バイク屋の店主に某カートコースで開催された市販50cc(ヤマハYSR50)のワンメークレースに連れて行ってもらい、「もしやる気があるなら、手伝ってやるよ」という店主の言葉に、一発で決心してしまいました。
早速YZR250を下取りに出して、新車のYSR50を購入し、登録もせずにいきなり保安部品を外し、余計なステー類をカット、スピードリミッターを解除し、タイヤをレース用に交換、フライホイールを削って軽量化したり、キャブのセッティングを変えたり ・・・・ ワンメークレースのレギュレーション(原則、無改造)を確認しながらレース仕様へ改造しました。
この状態で近場のカートコースで少し練習走行を繰り返して、次の年、いよいよレースエントリーです。
ところが、既に30歳になっていた私は、出場するレースの殆どで最年長出場者!
出場しているのが小学生~20歳そこそこが殆どですから仕方ありません。
当然、若い人たちは怖いものなしで「速い」です。 特に子供は速い!
一方の私は、ただでも遅いのに、更に家族のことや仕事のことを考えて、無理しないように走るもんですから、なかなか決勝へ進めません。
身体が小さく、体重も軽い小学生や中学生にガンガン抜かれて置いていかれる有様です。
それでもレースに出てサーキットで他のバイクと競争するのはもの凄く楽しく、刺激的なことでした。
中古のハイエースにバイクを積んでカートコースで練習し、レースにエントリーして出場と言うことを3年程続けました。
いくら30過ぎのオヤジでも、3年も続けると少しは腕も上がり、バイク自体も速くなり、3年目頃には、少しは「抜く」こともでき、決勝レースにまで進めるようになってきました。
よぉーーし、もっと行くぞ ・・・ と思い始めた矢先でした。
練習中の転倒で大怪我をしてしまい、幸い数日の入院で済み、大事には至りませんでしたが、流石に家族の手前、もう続けることはできなくなってしまいました。
ちょうど、子供が小学校へ上がり、マイホームを購入した時期とも重なり、素人の道楽としては限界を感じたのも原因でした。
16歳で原付に乗り始めて17年、レースを始めて3年とちょっと、33歳の6月でした。
レースで使っていたYSR50やツナギ、ヘルメットなどは、暫くは新居のリビングルームに飾ってありましたが、やはり邪魔になってきたので、最終的にはスクラップ処分となりました。今でも残っているのはツナギとキャブレターだけです。
それ以来、50ccのスクーター以外、バイクには乗ったことがありません。
もう一度乗りたい気持ちは満々ですが、危ないのでやめておきましょう。
33歳で、バイクを降りてから始めた道楽が、「釣り」と「日曜大工」です。