エンブレム問題、海外でも関心 「新たな恥ずべき事態」
昨日、盗作疑惑で物議を醸していた佐野研二郎氏デザインの五輪エンブレムは、遂に、取り下げられることになりました。この騒動に対して、海外メディアなどでは、日本国にとりまして”新たな恥すべき事態”とする報道もあるようです。
しかしながら、この事態、日本国、並びに、日本国民が、失態として恥じ入るべきことなのでしょうか。見方によりましては、逆に、誇りとすべき事態ではないかと思うのです。その理由は、盗作疑惑に対して、逸早く国民の多くがネット等において疑惑を追及すると共にエンブレムの使用継続に反対し、遅ればせながらも、組織委員会等の責任者側も誤りを正す方向に動いたからです(説得力のある弁解でもなかったのですが…)。仮に、盗作疑惑に対して、国民の大半が見て見ぬふりをする、あるいは、盗作行為を擁護したとしますと、それは褒められたことなのでしょうか。また、圧倒的多数の国民の声を無視して、責任者側が疑惑のエンブレムの使用継続を貫いたとしますと、それは日本国の誇りとなるのでしょうか。日本国民の多くが、いわく付きのエンブレムを晴れ舞台であるはずのオリンピックに使用することを”恥”と見なした結果が今回の一連の騒動なのですから、むしろ、取り下げによって正義と名誉が守られたとして安心している国民の方が多いと思われるのです。東京オリンピックが開催される2020年までの間、日本国内のみならず、世界中の街角のあちらこちらで疑惑のエンブレムを見かけたとしますと、日本人の多くは正視できずに赤面したことでしょう。
佐野氏のエンブレム、並びに、他の作品の盗作疑惑については、今後の裁判での判決を待つ必要がありますが、この事件を機に、クリーンなオリンピックを求める意識が高まったことも重要な変化の一つです。来るべき2020年の東京オリンピックが、過度な商業主義から醜悪な利権の塊となり、組織腐敗も指摘されているオリンピックそのものが、フェアプレーを尊ぶオリンピック精神を取り戻し、21世紀に相応しいあり方を示す転機となれば、日本国にとりましては、さらなる名誉となるのでないかと思うのです。
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佐野氏のエンブレム、並びに、他の作品の盗作疑惑については、今後の裁判での判決を待つ必要がありますが、この事件を機に、クリーンなオリンピックを求める意識が高まったことも重要な変化の一つです。来るべき2020年の東京オリンピックが、過度な商業主義から醜悪な利権の塊となり、組織腐敗も指摘されているオリンピックそのものが、フェアプレーを尊ぶオリンピック精神を取り戻し、21世紀に相応しいあり方を示す転機となれば、日本国にとりましては、さらなる名誉となるのでないかと思うのです。
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