「うそつき」飛び交う怒号=委員長囲み、一触即発―緊迫深まる参院特別委・安保法制
安保関連法案の成立を阻止すべく、野党議員達が取り囲むように委員長に詰め寄る昨晩の光景は、”良識の府”であるはずの参議院のものとも思われません。”平和”を主張しながら暴力に訴える姿に、国民の多くも失望したのではないでしょうか。
ところで、安保関連法案に反対する人々は、当法案が成立するれば、即、日本国が”戦争する国”になるかのように宣伝しています。しかしながら、安保関連法案は、集団的自衛権の行使に関する解釈変更を受けた法整備であり、その真価は、国連や日米同盟といった国際的な協力の下で発揮されます。ですから、日本国が”単独”で何らかの軍事行動を起こすことを可能とするわけではなく、この点、明らかに、安保反対論者は世論をミスリードしています。仮に、安保反対論者が国連や日米同盟において生じる武力行使に反対するとなりますと、その基本的な立場は、反国連であり、反米と解されます。また、集団的自衛権の行使は、国際法における合法行為ですので、侵略に対してこの権限の発動を認めないことは、国際法違反行為を暗に認めることを意味します。治安の維持には警察による力の行使を要するのと同じく、国際社会においても法秩序を守るためには、武力の行使は正当化されているのです。この文脈においては、安保法案反対論者は、反国際法の立場ですらあります。
国連は、様々な欠陥を内包しつつも、普遍的な国際機関として人類に貢献してきましたし、日米同盟は、日本の国と国民の安全を軍事協力によって守ってきました。日本国は、国連、そして、同盟国であるアメリカに対して厚い信頼を置いておりますし、法案は、自動的参戦を定めているわけでもありません。また、日本国は、国際社会における法の支配を標榜し、国際法の整備・発展に尽くしてきました。安保法案反対論者は、こうした戦後の実績を否定し、将来を見据えた国際協力に基づく侵略の排除と平和貢献への道を閉ざそうというのでしょうか。安保反対論者の”独善”、あるいは、”偽善”は、参議院の光景のように、最終的には暴力主義に行き着くのではないかと思うのです。
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国連は、様々な欠陥を内包しつつも、普遍的な国際機関として人類に貢献してきましたし、日米同盟は、日本の国と国民の安全を軍事協力によって守ってきました。日本国は、国連、そして、同盟国であるアメリカに対して厚い信頼を置いておりますし、法案は、自動的参戦を定めているわけでもありません。また、日本国は、国際社会における法の支配を標榜し、国際法の整備・発展に尽くしてきました。安保法案反対論者は、こうした戦後の実績を否定し、将来を見据えた国際協力に基づく侵略の排除と平和貢献への道を閉ざそうというのでしょうか。安保反対論者の”独善”、あるいは、”偽善”は、参議院の光景のように、最終的には暴力主義に行き着くのではないかと思うのです。
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