万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

卑屈なコンスポーズの普及こそ礼儀に反す

2017年04月02日 13時51分41秒 | 日本政治
  毎週、日経新聞社が土曜日に配達するNIKKEIプラス1の一面には、”何でもランキング”が掲載されています。昨日は、”好印象は着こなしマナーから”として、ビジネスの場で働く男女の服装について特集していました。この紙面を見て驚かされるのは、モデルとなっている女性がとっている”コンス”と称される韓国式のポーズです。コンスは、この紙面のみならず、TVアナウンサーなど、マスコミ一般等でもよく見られます。

朝鮮半島に伝わる伝統的なコンスでは肘をおよそ水平に張るそうですので、日本国内で今日見られるコンスは、肘の張り方がややソフトに変形されています。しかしながら、両手をお腹の上に置き、肘を横に張り出す基本姿勢はそのままであり、両手を下方に伸ばす日本古来の礼儀とは異なるものです。コンスに対して、一般の日本人が不快に感じるのには、幾つかの理由があります。

 第一の理由は、このポーズの原型が、国際的なマナーとは全く関係のない、朝鮮半島固有の礼儀作法であるからです。どの国にも、その国の人々の伝統的な礼儀作法があり、それは先祖から受け継いできたものです。殊更礼儀を大事にしてきた日本国にも、近代化の過程で国際的なマナーに親しみつつも、固有の礼儀作法が伝えられてきました。にも拘らず、国際的マナーでもない、隣国固有の礼儀作法を敢えて自国に導入しなければならないのか、一般の国民にとりましては、全くもって、合理的な理由も根拠も見当たりません。

 第二の理由は、合理的な理由や根拠がなく、かつ、一般の国民の誰もがコンスへの変更を望んでいないのですから、それは即ち、誰かが敢えて朝鮮半島の礼儀を日本国内において意図的、かつ、組織的に普及させていると考える以外にありません。そして、この礼儀が、朝鮮半島由来であるとしますと、普及を勧めている人々は、朝鮮半島出身者であると推測されるのです。民族性の抹殺は、今日の国際法においてはジェノサイド行為なのですが、コンスの普及は、朝鮮半島の人々によって日本国民が民族浄化をされているような感覚を覚えるのです。

 第三の理由は、ネット上でも指摘がありますように、コンスとは、朝鮮半島が中国の属国であった時代の儒教的秩序において、下位の者がすべき作法であり、臣従や隷従のポーズでもあります。中国を舞台とした映画等でも、皇帝を前に居並ぶ百官達が肘を水平にして一斉に頭を下げるシーンがよく見られますが、肘を張って頭を下げる卑屈なポーズが、現代社会に相応しいとは思えません。世界広しと雖も、今日、こうした”下僕”のポーズとも言える卑屈なポーズが広まっているのは、日本国ぐらいなのではないでしょうか。

 第四の理由は、このポーズは、どうやら女性にのみ要求されているようなのです。コンスポーズの女性の傍らには男性のモデルが立っているのですが、この男性は、上着を腕にかけ、自然に手を下に垂直に下ろしています。女性のみが、右手を下に両指を伸ばした不自然な手つきで奇妙なポーズをとっているのです。東京オリンピック・パラリンピックの誘致の際には、日本国の”おもてなし”の精神が喧伝されましたが、”おもてなし”と”下僕化”とでは天と地ほどの違いがあります。このポーズを流行らせたい人は、日本の女性のみが”下僕”になればよいと考えているのでしょうか。

 第五に、コンスは朝鮮半島起源とする説が広まるにつれ、一般の日本人の間でコンス・アレルギーが生じてきています。一般の小売やサービス業の現場でコンスを実践して接客しますと、お客様である人々に不快な思いをさせることとなります(売り上げ低下につながるのでは…)。接客を受ける側も、意識してチェックするようになるのですから、両者の間には、否が応でも心理的な葛藤や緊張が生まれます。

 ”郷に入っては郷に従え”とも申しますように、隣国の礼儀を強引に普及させる行為は、日本国の伝統の破壊ですし、日本国民に対する嫌がらせに他なりません。道徳の基本が、”他者の嫌がることはしない”であり、礼儀もまた相手に対する尊重の身体表現であるならば、コンスの普及こそ、真の意味での礼儀知らずであると思うのです。

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コメント (11)
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