万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

皇族複数説と『東方見聞録』-過去の“複製戦略”の事例

2017年08月02日 14時39分44秒 | 国際政治
日本国の皇族については、“美智子さん”や“愛子さん”をはじめ、顔立ちや容姿の時系列的な違いから複数説が存在しています。実のところ、こうした“替え玉”を疑う説は日本国に限ったことではなく、海外でもアドルフ・ヒトラーからヒラリー・クリントン元国務長官まで、疑惑を挙げればきりがありません。

 日本国の歴史でも、戦国時代にあって本者は大阪夏の陣で既に打ち取られていたとする徳川家康替え玉説や幕末の公武合体を担った皇女和宮も替え玉であるとする説もあり(増上寺にある徳川家の墓所の発掘調査結果によって、和宮の頭髪は、家茂の棺に納められているものと和宮本人のものとでは違うことが判明している…)、必ずしも突拍子もない珍説ではないのですが、殊、現代の皇室となりますと、否が応でも関心が高まります。国民としては、あり得ないとする感情が優るのでしょうが、支配を目的とした“複製戦略”については、かのマルコ・ポーロが、嘘かまことか『東方見聞録』において興味深い前例を記録しています。

 その事例とは、“「山の老人」と「暗殺者」の話”です。ムレヘト(現在のイラク中部あたりか…)という土地に住んでいた「山の老人」が、『コーラン』に描写されているイスラム教の天国を模した人工の庭園をつくることで若者たちを騙し、暗殺者に仕立てて周辺諸国の要人を暗殺させたとするものです(「山の老人」は、非イスラム教徒でありながら、イスラム教徒を騙している…)。この「山の老人」は、1262年頃に鎮圧されますが、支配の手法として、仕草から何から何まで本人に似せた“そっくりさん”を自分の他に二人つくり、地方に派遣していたというのです。

一人はダマスクス地方(現在のシリア)、もう一人は、クルディスタン(現代のクルド人居住地域)に派遣したというのですから、「山の老人」の活動範囲は広域的であったことが窺えます(この頃、西アジア一帯はモンゴルの侵入により混乱状態にあるので、真実とも推測される…)。「山の老人」は、単なる “身代わり”や“替え玉”というよりも、大掛かりな舞台装置を伴いつつ、積極的な支配の道具として“複製”を戦略的に使用しているのです。

 「山の老人」を「山の長老」と読み替えますと、目的は異なるとはいえ、どこか、現代にまで通じる“複製戦略”の世界史的な系譜が浮かび上がってくるように思えます(東宮の山好きは偶然か…)。明治維新、あるいは、イエズス会士が上陸した戦国期を境として、日本国にも世界的な勢力の組織的な影響が徐々に浸透してきたとしますと、今日の皇族複数説も、別の角度から検証する必要があるように思えるのです。

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