万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

憲法第9条に書くべきは無法国家への対応-第9条改正案

2017年08月22日 14時44分11秒 | 日本政治
 憲法改正問題については、安倍首相は、現条文を維持したまま第3項を書き加える加憲の立場にあるそうです。公明党への配慮とも推測されますが、憲法に書くべきは、無法国家への対応ではないかと思うのです。

 国と国民の安全をまもることこそ、国家の基本的な役割の一つであることには、凡そ異論はないはずです。安全の実現とは、他のあらゆる分野と同様にリスクの徹底管理なくしてあり得ず、リスク管理に不備のある憲法は、“欠陥憲法”と批判されても致し方ありません。何故ならば、第9条の第1項も第2項も、日本国政府の行動規範を定めているに過ぎないからです。

 この点に関連して、第9条の改正案として、第2項のみを削除すべしとの案があります。これは、第1項さえあれば、およそ、侵略戦争を禁じる現在の国際法で定める国家の行動規範と一致するからです。ドイツやイタリアをはじめ、侵略戦争を放棄する旨を憲法に明記する諸国は多く、戦後の国際社会の一般的傾向ではあります。日本国憲法の第9条1項も部分も、最低限、(1)侵略のための戦争はしない、(2)武力を自国の意向を他国に押し付けるための威嚇手段としては用いない、(3)国際紛争に際しては平和的解決を最優先とする、(4)国際法を遵守する…といった内容を明記すれば、国連憲章にも謳われている国家のポジティヴな行動規範の基本項目は押さえたこととなり、国際法と国内法がきれいな形で整合されます。

 しかしながら、問題は、必ずしも全ての国が、国際法に定められた行動規範を遵守するわけではないところにあります。現行の第9条2項は、軍隊の不保持と国の交戦権の否定を記したため、神学論争的な解釈論で国政が混乱する原因となってきましたが、それもそのはず、書くべき内容がそもそも逆であるからです。本来、第2項に記すべきは、他国が国際的な行動規範を破る、あるいは、無法国家と化した場合の対応です。国内レベルでも、刑法において行動規範が示されただけでは、治安を維持することはできません。犯罪者が出現するリスクを想定した警察法が制定されて、初めて良好な治安が実現するのです。

 国際レベルでも同様であり、中国が南シナ海の仲裁裁定を破り捨て、北朝鮮が核やミサイルで他国を威嚇しているように、国際問題、外交関係を武力で解決しようとする無法国家が現実に存在しています。現行の日本国憲法は、犯罪者が現実に人々に被害を与えているにも拘わらず、警察権力を放棄し、警察組織も持ってはならないと定めているようなものであり、人間の理性に反するといってもよいぐらいに非常識であり、不合理なのです。

 このように考えますと、第2項の削除案は、逆方向を向いている現行の日本国憲法を正常化する意味においては首肯し得る意見です。それでは、第1項のみ残す場合には、どのような対応が可能となるのか、と申しますと、確かに、憲法に書かれていない以上、武力行使をも含めて無制限、かつ、無条件に如何なる手段も許されます。ただし、これまでの神学論争に終止符を打つ、あるいは、防御面においても国際法との整合性を求めるならば、国連憲章第51条で全ての加盟国に認めている個別的、及び、集団的自衛権の行使の合憲性を明記すると共に、国連等の国際的枠組みにおける侵略国家、あるいは、無法国家への軍事的制裁活動への参加、即ち、“国際警察活動”への軍隊の参加を認める条文を設けた方が、第9条改正に対する国民の賛意を得られるかもしれません。

 日本国が未来に向けて実現を目指すのは、国際社会おける法の支配の確立であり、日本国と日本国民の安全、そして、人類の永遠平和は、この原則なくしてあり得ません。憲法第9条の改正もこの観点から進めるべきであり、第3項の加憲方式よりも、第1項と第2項の改正の方が適切なように思えます。国際法との整合性を保つ形で第1項には自国の行動規範を、第2項には他国の行動に対するリスク管理を割り当てることによって、日本国は、自国の防衛と安全保障をより確かにすると共に、より善き国際秩序の構築にも貢献すべきなのではないでしょうか。

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