「ビットコイン・仮想通貨」のニュース
紙幣については、それが政府紙幣であれ、銀行券であれ、“詐欺”の一種であるとする批判があります。物としては僅かな価値しかない“紙切れ”が印刷された額面の価値を持つのですから、紙幣とは何とも不思議な存在ではあります。
ところで、政府紙幣についてこの問題点を最初に指摘したのは、『東方見聞録』を残したマルコ・ポーロです。モンゴル帝国は、最初に政府紙幣を発行した国として知られていますが、マルコ・ポーロは、同著においてフビライ・カーンが、如何にして政府紙幣を以って莫大な財産を手にしたのかをかなり詳細に記述しています。
要約しますと、大汗(フビライ)は、新設した首都カムバルク(大都:現北京)に造幣局を設置し、そこで、大汗の印を押した大小様々な額の紙幣を造ります。大汗の支出は、全てのこの紙幣によって支払われますが、マルコ・ポーロを特に驚かせたのは、それが、大汗が莫大なる財産を手中に収める手段として使われていたことです。何故ならば、一年に数回、“宝石や真珠、金銀を持っているものはみな大汗の造幣局にそれをもって行くべし”という布告が出されるからです。乃ち、領内に居住する財産的価値のある貴金属等を所有する者は皆、造幣局にこれらを持ち込み、同価値の紙幣と交換することとなるのです(金銀との兌換が保障されていたわけではないものの、金銀を入用な者は、造幣局から紙幣を以って買うことはできた…)。かくしてこの制度は、ポーロをして、“世界中の君主が一緒になっても、大汗ただ一人が所有する財宝に及ぶべくもない”と言わしめているのです。
モンゴル帝国が発行した世界最初の政府紙幣は、その後、帝国の版図において広く流通し、モンゴルの軍事力をバックに領内の商業を支える役割を担います。しかしながら、紙幣発行の際に生じる通貨発行益(seigniorage)は、それが公的な使途に向けられたとしても、大汗によって掌握されていました。紙幣に対する上記の批判は、まさに、無から有を生む“錬金術”の如き通貨発行益の存在にあるのです。
今日の通貨も不換紙幣ですが、14世紀には存在していない中央銀行制度の下で銀行券が発行・流通しています(現在の不換紙幣の信用は、凡そその国の国力によって支えられている…)。仮に、通貨発行益があったとしても、それは、政府の歳入に組み入れられ、私的な資産となることはありません。ところが、政府紙幣ならぬ、民間紙幣であるビットコインのみは、通貨発行権は発行者に、そして、通貨発行益は採掘者(マイナー)に帰するのです。ビットコインは銀行券でもありませんし、何れの国や地域の中央銀行のコントロールの下にもありませんので、ビットコインの現状は、いわば、民間人による“錬金術”が既成事実化している状態と言えます。そして、通貨としての通用力は、希少金属でも国力でもなく、偏に人々の空気にも似た信頼のみに依拠しているのです。
ビットコインについては、不可解なことにもIMFも黙認していますが、考えてもみますと、通貨発行権、並びに、通貨発行益が私人によって掌握されるのですから、国家や地域の視点に立てば、私人による通貨発行権、並びに、通貨発行益の侵害であり、公共性の高い金融インフラ、並びに、公共財の私物化ともなりかねません。モンゴル帝国崩壊の原因については、政府紙幣の乱発によるインフレが経済に混乱をもたらし、社会の不安定化を招いたとする点が指摘されています。モンゴルの政府紙幣発行から600年余りが経過した今日、ビットコインもまた、それが、大汗にも増して無責任な私人による“錬金術”なだけに、その流通量や取引が増加するに従い経済の波乱要因となりかねないリスクを孕んでいると言わざるを得ないのです。
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紙幣については、それが政府紙幣であれ、銀行券であれ、“詐欺”の一種であるとする批判があります。物としては僅かな価値しかない“紙切れ”が印刷された額面の価値を持つのですから、紙幣とは何とも不思議な存在ではあります。
ところで、政府紙幣についてこの問題点を最初に指摘したのは、『東方見聞録』を残したマルコ・ポーロです。モンゴル帝国は、最初に政府紙幣を発行した国として知られていますが、マルコ・ポーロは、同著においてフビライ・カーンが、如何にして政府紙幣を以って莫大な財産を手にしたのかをかなり詳細に記述しています。
要約しますと、大汗(フビライ)は、新設した首都カムバルク(大都:現北京)に造幣局を設置し、そこで、大汗の印を押した大小様々な額の紙幣を造ります。大汗の支出は、全てのこの紙幣によって支払われますが、マルコ・ポーロを特に驚かせたのは、それが、大汗が莫大なる財産を手中に収める手段として使われていたことです。何故ならば、一年に数回、“宝石や真珠、金銀を持っているものはみな大汗の造幣局にそれをもって行くべし”という布告が出されるからです。乃ち、領内に居住する財産的価値のある貴金属等を所有する者は皆、造幣局にこれらを持ち込み、同価値の紙幣と交換することとなるのです(金銀との兌換が保障されていたわけではないものの、金銀を入用な者は、造幣局から紙幣を以って買うことはできた…)。かくしてこの制度は、ポーロをして、“世界中の君主が一緒になっても、大汗ただ一人が所有する財宝に及ぶべくもない”と言わしめているのです。
モンゴル帝国が発行した世界最初の政府紙幣は、その後、帝国の版図において広く流通し、モンゴルの軍事力をバックに領内の商業を支える役割を担います。しかしながら、紙幣発行の際に生じる通貨発行益(seigniorage)は、それが公的な使途に向けられたとしても、大汗によって掌握されていました。紙幣に対する上記の批判は、まさに、無から有を生む“錬金術”の如き通貨発行益の存在にあるのです。
今日の通貨も不換紙幣ですが、14世紀には存在していない中央銀行制度の下で銀行券が発行・流通しています(現在の不換紙幣の信用は、凡そその国の国力によって支えられている…)。仮に、通貨発行益があったとしても、それは、政府の歳入に組み入れられ、私的な資産となることはありません。ところが、政府紙幣ならぬ、民間紙幣であるビットコインのみは、通貨発行権は発行者に、そして、通貨発行益は採掘者(マイナー)に帰するのです。ビットコインは銀行券でもありませんし、何れの国や地域の中央銀行のコントロールの下にもありませんので、ビットコインの現状は、いわば、民間人による“錬金術”が既成事実化している状態と言えます。そして、通貨としての通用力は、希少金属でも国力でもなく、偏に人々の空気にも似た信頼のみに依拠しているのです。
ビットコインについては、不可解なことにもIMFも黙認していますが、考えてもみますと、通貨発行権、並びに、通貨発行益が私人によって掌握されるのですから、国家や地域の視点に立てば、私人による通貨発行権、並びに、通貨発行益の侵害であり、公共性の高い金融インフラ、並びに、公共財の私物化ともなりかねません。モンゴル帝国崩壊の原因については、政府紙幣の乱発によるインフレが経済に混乱をもたらし、社会の不安定化を招いたとする点が指摘されています。モンゴルの政府紙幣発行から600年余りが経過した今日、ビットコインもまた、それが、大汗にも増して無責任な私人による“錬金術”なだけに、その流通量や取引が増加するに従い経済の波乱要因となりかねないリスクを孕んでいると言わざるを得ないのです。
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